「ジムニーで日本の魅力を再発見しよう!」を合言葉に
日本の中にまだまだあるエッジーでおもしろい場所を発掘して旅をする『日本再発見ジムニー探検隊』。
第一回目は埼玉県の名前の発祥地となった行田(ぎょうだ)市に向かう。
2012年秋公開の話題の映画「のぼうの城」の舞台となった忍城もある、懐かしい香りのする城下町なのだ。
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埼玉県というと、関東でもちょっと地方のイメージが強い(埼玉県民ゴメン!)。その中で行田市なんていうと、もう普通の日本人にはそこが一体どこなのか見当も付かない(行田市民ゴメン!)。
ところがである。飛鳥時代、つまり律令制だった700年代には行田には前玉(さきたま)郡という国郡が置かれ、東国における朝廷の重要拠点のひとつだったのである。もうお分かりの通り、この“さきたま”という郡名は転換され“埼玉(さきたま)”になったというわけだ。ちなみに534年に埼玉郡笠原(鴻巣市笠原)に拠点が置かれていたという説もある。
今では新都心・大宮あたりが“さいたま市”と名乗っているが、行田市民にしてみれば「おのれ、許せん」というわけで、そのブーイングで「埼玉市」とはならなかったのだとか。いずれにせよ、現在では埼玉のどこだか分からない行田は、かつての県庁所在のような町だったわけだ。
飛鳥時代に重要な町→偉い人がいる→死んだら古墳を造る…というわけで、この行田にあるのが彼の有名な「埼玉(さきたま)古墳群」。この古墳群は、国宝の刀剣が出てきた稲荷山古墳をはじめ、双子山古墳、将軍塚古墳といった9つの古墳で形成されている。
何せこの古墳群では円墳、方墳、前方後円墳といった僕らが小学校の社会科で習った主立った古墳の形がすべて揃っており、まるで古墳のメガストアだ。それに古墳と言ったら普通は遠くから眺めるだけところが多いが、ここは登ったり、駆け下りたり、飛び跳ねたりできてしまうのである。もう古墳萌えにはたまらない場所なのだ。
埼玉古墳群は1976年に公園整備され、いまでは目に鮮やかな芝生が広がる美しい公園だ。古墳の麓ではご老人たちがゲートボールに興じ、お犬様たちがドッグランを駆け回っている。古墳というやはり神々しいものだと思うが、まさかここに埋葬された主も千何百年後に自分の墓の周りがこのような光景になるとは想像もつかなかっただろう。
さてせっかくここに来たのだから、下から観るだけ〜などと横着をしないで行きたい古墳がふたつある。ひとつは将軍山古墳。典型的な前方後円墳で、石室を見学するとこができるという興味深いスポットだ。
石室を観るというからインディージョーンズのような冒険を期待していたのだが、古墳内部に近代的な建造物があり、お金を払って見学する。ちなみにここでお金を払うと「さきたま史跡の博物館」も見学できる。こちらには稲荷山古墳出土の国宝刀剣が展示されているので、古墳萌えはマストで見学しよう。
玄関を入ると、まず1階に古墳に葬られた主の想像銅像がある。将軍というと戦国武者的な容姿を想像するが、当然古墳時代なわけだから武具も簡素だ。誇張してあるとは言え、なかなか立派な風貌で、果たしてどんな日本人がここに眠っているのかロマンは尽きない。
階段を登るとガラスに囲まれた復元石室が見えてくる。将軍塚古墳の石室は、1894年に地元民によって偶然に発見された。武具や武器の他、日本で二例目となる馬冑が見つかっている。
これらの副葬品から古代の軍人ではないかと予想され、将軍塚の名が付いたらしい。前方部には木棺で直接埋葬された墓が発見されたが、こちらは“将軍”の血縁関係にある女性とみられている。
博物館とはいえ人様の墓の中なわけだから、一人で見学するのはちょっと不気味だが、石室の様子を観られる機会は他にはそうそうないので古墳マニアとしてはかなり興奮した。中は映画のセットのようなものだが、当時の埋葬の様子は実に興味深いものがある。
さて、将軍塚内部を見学したらそのまま「丸墓山古墳」に足を伸ばしたい。“もう古墳は飽きた…”という人も、後に紹介する忍城に縁のある場所なので、面倒がらずに行ってみよう。
丸墓山古墳は日本最大の円墳と言われ、春になると桜の名所として地元民に愛されている。この古墳、築造年代は6世紀前半と言われ、埋葬されている人物は定かではない。埼玉古墳群の中では、稲荷山古墳と並んで登ることのできる古墳。ジムニーの乗り過ぎで足腰が弱っている方も、がんばって登っていただきたい。
と言うのも、丸墓山古墳は戦国時代に石田三成が忍城を攻めた時、この頂上に陣を張った。急な階段を登ると、平野部の多い行田では、確かに遠方まで望める絶好の展望台だ。遙か彼方には小さく忍城が望め、ここから石田三成は攻略法を考えていたわけだ。古墳に興味はなくとも、戦国マニア、城郭萌えならばぜひ訪れたい場所のひとつだ。
丸墓山古墳を下りると、目の前に桜並木が続く。この桜並木は堤の上に立っているのだが、この堤こそ石田三成が忍城攻めの際に造らせた「石田堤」だ。石田堤は総延長約28㎞。自然堤防や微高地をつなぎ合わせることで、わずか1週間で造ったというから驚きだ。
この堤が完成後、利根川と荒川の水を流し入れ、忍城を水攻めにしたのだが結果は芳しくなかったらしい。忍城はいっこうに水に沈まず、逆に堤防が決壊して石田方に多数の溺死者が出てしまうという何ともしまらない結果に終わった。石田三成という人、政治的手腕は非常に高かったようだが、さすが茶坊主出身ということもあり、関ヶ原を見ても戦は下手だったようだ。
500年代の古墳から見ると、戦国時代なんて1000年以上も後のことなのだが、現代から考えるとどちらの時代も遙か昔。年表をもう一度開かないと時間軸がよく分からなくなるような、何とも面白いスポットなのだ。
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