日本には各地に平家が逃げのびた"落人の里"が存在する。
栃木県湯西川温泉もそのひとつだ。
源氏の追討を逃れ、現代にその文化と伝統を受け継ぐ集落。
今回のジムニー探検隊は、湯西川温泉を中心にドライブしてみたい。
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視聴率はいまひとつパッとしないが、今年は大河ドラマでも「平清盛」が放送されるなど、平家にスポットライトが当たっている。さて、前持って混乱を避けるために説明をしておきたいのだが、平家と平氏は同意語に考えられていることが多い。平氏とは皇族が臣下に下る時に名乗る氏で、桓武平氏、仁明平氏、光孝平氏、文徳平氏の四流がある。この内、後世に残ったのはほとんど桓武平氏だと言われる。
武家として有名な平氏は高望王流板東平氏で、平清盛の伊勢平氏もこの一派なのである。伊勢平氏は宋との貿易で蓄財し、中央政権に多大な影響力を持ち、やがては天皇を輩出する家柄までのし上がる。そのため、他の平氏と区別して平家と呼ばれたようだ。
ちなみに、後の源氏政権=鎌倉幕府の執権となった北条氏は板東平氏の一族であり、一見源氏の天下に思えた世の中は実は平氏が牛耳っていたわけだ。さらに後世に右大臣となった織田信長も平氏を名乗り、有名な家紋「木瓜」の他に裏紋として平家紋の「揚羽蝶」を使っていた。日本人の多くが平氏は壇ノ浦で滅亡したと思っているが、実はその後も歴史の表舞台に何度も登場しているのだ。
もちろん平家も滅んではいない。本家筋の人々はほとんど戦死するか、壇ノ浦で入水したが、一門の家来や親戚にあたる公家などは全国にちりぢりに逃げのびた。これがいわゆる「落人」と呼ばれる人々だ。落人は源氏の追討を逃れるため、とにかく人目の付かない場所に落ちていったことは周知の通りだ。日本には各地に落人の里がある。福島県の檜枝岐村や群馬県の片品村、石川県の輪島市、愛媛県の平家谷、宮崎県の椎葉村などは有名だ。中には沖縄まで逃げのびた平家もおり、宮古島には刀なども伝わる。沖縄に多い「平良(たいら)」さんという名字は、平から来ているらしい。
さて、全国でも特に落人の里であることを積極的にアピールしているのが、栃木県の湯西川温泉だ。「本家伴久」なんていう名旅館があるので、知っている人も多いだろう。那須塩原ICからクルマで1時間ほどの山奥に入った場所にある温泉地である。現在はいい道路が開通して、随分と便が良くなったが、つい1年ほど前は厳しい山道を走らなければならなかった。
ちなみに、湯西川温泉には「伴久」の伴という名字の人たちが多い。実はこれ、漢字にトリックがある。「半」という字の上の点2つを下に下ろし、横棒を上げると「平」という字になる。これににんべんを付けると「伻」という字になる。つまり「平家の人」という意味だ。落人たちが平家であることを悟られぬように付けた姓だと言われている。
さて湯西川に逃れた平家は平忠実が祖で、この人は重盛の六男と伝承されているが、平家の系図に忠実という名前はない。平重盛の六男は系図では忠房という人で、これは屋島の合戦の後捕らえられて切られた。この忘れ形見を擁した女性が湯西川に逃げているので、忠房の子が忠実ではないかという説もある。
さて、この一族は最初から湯西川に逃げたのではなかった。最初は宇都宮頼綱を頼って塩原に逃げ、鶏頂山に隠れた。ここで一族の女性が男子を出生したため、武家の習わしで鯉のぼりを上げて祝った。ところがこれが源氏に見つかり、さらに湯西川へと逃げたという。今ならクルマで小一時間だが、足の遅い女性や子どももいただろうから、川沿いの逃避行はさぞ大変だったに違いない。リチャード・キンブリーばりに逃げまくったところで、川の一部の雪が溶けて湯気が立ち上っていた。「おっ、温泉! ここなら冬も暮らせるだろう」ということで、湯西川に居着いたのが由来と言われる。
湯西川には今もこんな習わしがあるという。「鯉のぼりを飾ってはいけない」「ニワトリや犬を飼ってはいけない」。源氏の追っ手を逃れるため、目立たぬように暮らしてきた落人たちの生活が窺い知れる。ちなみに、今回お世話になった旅館には大きな犬がいた。
秘境という感じの湯西川温泉だが、前述の通り、ダムの建設に伴って快適な道路が開通してアクセスしやすくなった。東京都内からならば2時間半で平家が隠れた落人の里に着いてしまうのだから、現代文明はすばらしい。各温泉宿は湯西川沿いに広がるが、1kmの中に密集しているコンパクトな温泉地だ。温泉の泉質は弱アルカリ性の単純泉なので、高齢者でも安心して入れるという。湯の中に入ると肌の表面がヌルっとするような感じだが、上がるとスベスベして心地よい。
我々が湯西川温泉に訪れた時は夏の盛りだったが、秋から冬にかけて雰囲気が格段に良くなる。秋は湯西川沿いに色づく紅葉、そして冬は雪見風呂とちょうどこれからがハイシーズンになるのである。湯西川温泉はイベントも盛りだくさんだ 。
6月は平家全盛時代を再現した「平家大祭」、7月から8月にかけては幻想的なライトアップの「竹の宵まつり」と「かわあかり」、そして8月はレーザー光線を使った「オーロラファンタジー」。そして1月下旬から3月下旬にかけては、湯西川沿いのかまくらに火を灯す「かまくら祭」が開催される。僕も一度、かまくら祭を観に行ったことがあるが、こぢんまりとしているが幻想的なイベントだった。
こうしたイベントを観るにはやはり1泊したほうがいいのだが、湯西川温泉には無料の公衆浴場と露天風呂がそれぞれひとつずつあるので、クルマを駐めてちょっと入浴なんていうのもいい。ただし、露天風呂は川沿いに湯船が作ってあるだけなので入るのに人目が気になるのと、真冬は裸になるのに相当な覚悟が必要だけと言っておきたい。
余計なことだが、こんなにいい温泉があっても落人たちはあまり入浴しなかったに違いない。というのも、平安時代の日本人には湯船に浸かる入浴の習慣がなかった。当時の入浴は焼け石に水をかけて水蒸気を浴びるサウナのようなもので、しかも高貴な人間のみが入っていたらしい。ただ、病気療養を目的とした入浴はあったようだ。病気の治療は主に寺で行っていたので、風呂は寺にしかなかった。銭湯の外観が寺のような「唐破風造り」なのは、そういった名残りなのである。戦国時代になると湯治目的で温泉に入ることが頻繁に行われ、武田信玄などは領内の至る所に湧く温泉を使って戦で傷ついた将兵を治療した。いわゆる“信玄の隠し湯”というやつである。一般庶民が風呂に入るようになったのは江戸時代からであり、この頃からほぼ毎日風呂に入るようなったようだ。
我々現代人はレジャーで風呂に入る文化レベルになったわけだから“1泊しよう!”ということになり、河野隊長と山岡カメラマンがおすすめの「湯乃宿清盛」という旅館に一泊する幸運に恵まれた。この旅館、なんと一日5組しか泊まれない旅館なのだが、ものすごく高級旅館というわけではない。リーズナブルな部屋も用意されている。
なぜ5組なのかというと、女将いわく「行き届かないから」だという。旅館の雰囲気は非常にアットホームだが、アメニティやら何やらすべてが行き届いており、非常に居心地のいい対応だった。お風呂は3つあるのだが、すべて貸し切ることができる。どの風呂にも露天風呂が付いているのだが、これがまた非常に気持ちいい。一緒に入るのが河野隊長と山岡C…というのはまあ思うところもあるが、隊員交流の一環と思って1時間も長風呂をした。ところがこれが非常に気持ちよく、爽やかな空気が肌を撫でるためか汗ひとつかかずに快適な時間を過ごすことができた。
料理は近隣の食材を活かしたもので、都会の人間の口に合うように敢えて「平家料理」は出さないという。たしかにどれも食べやすく、趣向が凝らしてあった。ボリュームもあるので、夜半近くに空腹を覚えることもない。部屋は和室だが、日常ベッドで寝ている人のために和洋折衷の部屋が用意されている。部屋によってことなるが、宿泊料は1泊1万3650円から2万3500円。スタンダードならリーズナブルに泊まることができる。
湯乃宿清盛のほかにも、湯西川温泉にはいい旅館が多い。平家直系の伴家が経営している「本家伴久」などは、全国にその名が知られている。こちらはこの地方の伝統料理である「一升べら」をはじめ、落人の雰囲気を演出した食事が出る。また湯西川に面した露天風呂は、秋の紅葉を眺めながら至福の入浴が楽しめるだろう。平家落人の里お約束のかずら橋も架けられており、雰囲気十分だ。
湯西川温泉はこれからの時季、もはや布団を被らないと寝られないほど涼しくなる。まだまだ蒸し暑い夜が続く都会の夜に疲れたら、身体を休めに訪れてみてはどうだろうか。
湯西川温泉まで来たなら、是非とも行きたいのが「林道 安ヶ森線」だ。湯西川温泉の町外れにある伴久ホテル跡地脇を曲がり、橋を渡ったあたりからスタートする。湯西川の源流に向かって登るといった感じだ。林道の総延長は約25km、最終的には南会津の国道352号線に抜ける。
非常に緑の濃い林道で、落葉樹が多いので紅葉シーズンはきっと美しいコースになるだろう。またこの林道の面白さは路面の変化にもある。最初は小石の転がったフラットダート、安ヶ森峠付近は砂、下りるとガレ場に変わり、最後は硬い土の路面に次々と変化していく。こういった多くの路面を味わえる林道は全国でも珍しい。
湯西川の橋を渡り、しばらくは舗装路が続く。軽く登る道が林へと入りしばらくすると、林道を知らせる看板が現れる。安ヶ森林道は積雪の時期は閉鎖となるので、走るなら11月いっぱいといったところだろう。4WDにシフトするなら、ここがポイントと言える。
前述の通り、この林道は常に生い茂った木々の中を走るので、天気がいい日は木洩れ陽が美しい。ただし、この辺の地質は砂岩質のようで山肌は非常に脆いようだ。我々が走った時も、路面に山肌から落ちた石が転がっているステージがあったので、周囲の景色に見とれすぎるのは危険だ。また走りやすいのアベレージスピードも上がりがちだが、十分な安全マージンを確保して走りたい。
道は安ヶ森山の稜線にある安ヶ森峠に近づくほど、つづら折れとなっていく。轍はさほど深くないが、小石が多いためテールがズルッとくる時がある。まあ、それが適度な緊張感に繋がっておもしろいのだが。峠の頂上は切り通しになっており、路面は急に砂へと変わる。こんな山の上で砂とは実に奇妙だが、おそらく太古には海の下だったのだろう。切り通しの山肌は地層になっており、ちょっと掘れば貝の化石とか出てきそうだ。今度、是非ともチャレンジしてみたい。
峠を越えるとすぐに道は下りに変わる。峠から手前側は栃木県、越えると福島県になるのだが、管理自治体が変わったからというわけではないのだろうが林道の雰囲気も変わる。福島県側のほうが、若干荒れ方が激しい。また沢沿いに水が出るのか、路面もウェッティだ。一度、十分にスピードを落として、車両の挙動を確認したほうがいい。
5分も走ると、鱒沢という渓谷に並行するように道は伸びる。大きな岩が河原に転がっており、それに苔が付いてとても美しい。冬は走行することができないが、きっと雪が岩にのるとまた美しいにちがいない。林道は軽いカーブが続く程度で、高低差も少なくなっていく。やがて林を抜け、ちょっとアジアチックな風景に周りが変わり始めたら、林道の終点は近い。
この林道は地元の生活道路となっているようで、時折反対側からクルマが来ることがある。道幅は狭くないが、十分に注意したい。ここだけのハナシ、ある程度オフロードの経験値がある人はドリフト&ハイスピードで走れてしまう林道だ。だが、もはやピストンではない林道は貴重なので、くれぐれもいつまで走行できるようにマナーに留意していただきたい。
というわけで、今回は平家落人の里・湯西川温泉を探検した。本当は今も残る平家の生活習慣などをご紹介したかったのだが、都合により取材ができなかったのは残念だ。いまから千年の前の「因縁」が21世紀の現代でも受け継がれていることに、やはり日本の歴史の長さを感じる。ちなみに、安ヶ森林道の向こう側は会津だが、会津の人々は幕末の遺恨から未だに老人から「長州(山口)と薩摩(鹿児島)の人間とは姻戚関係になるな」と言われるそうだ。日本にはいろいろなしがらみがあるのだと、部外者は暢気に思ってしまうのである。
というわけで、次回の探検もお楽しみに。
湯西川温泉 大人の宿「湯乃宿 清盛」
〒321-2601 栃木県日光市湯西川980