念願だった世界遺産登録が実現する富士山。
日本人の心とも言えるこの霊峰の周辺には、非日常的な場所がたくさんある。
今回はそんな隠れスポットを中心に、富士吉田から富士宮まで探検。
メジャースポットとはひと味違う楽しさをご紹介しよう!
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6月に世界遺産登録が確実となった富士山だが、この山は古来から何度も姿を変えている。今のような形になったのは約1万1000年前と言われている。だが、この時は古富士と言われる前の山体が残っており、変な形をしていたようだ。その後、御殿場雪崩と言われる山体崩壊が起こり、現在の新富士だけが残ったという。
僕は四輪駆動車専門誌にいた頃から100回以上富士山周辺に行っているが、山頂まで登ったのは昨年のことだ。登って初めて分かったのは、富士山は日本の陸地では一番高いということと、富士山は下で観るのがいいということ。しかし、この時期の富士山というのは天候もあって、なかなか観ることが難しい。
という前振りが完了したところで、今回は富士山が雲に隠れて見えません(キッパリ)。富士山探検の回なのに、富士山の写真は一枚もありません。まあ、僕の日常の行いが悪いことは認めるが、天候を変えられるほどのスーパーサイヤ人ではないので悪しからず。富士山は皆さんの心の中にある…。
さて、最初に向かったのは「富士山レーダードーム館」。かつては富士山頂で、日本近辺の気象を観測していたレーダードームが、その役割を終えて山麓で展示されている。
富士山レーダーは、1959年に日本に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風の教訓から建設が決定。大変な労苦の末に、富士山頂にレーダードームが設置された。その様子はNHK「プロジェクトX 挑戦者たち<富士山レーダー 男たちは命をかけた>」に詳しい。ちなみに建設の中心人物だったのは気象庁職員の藤原寛人で、彼こそが山岳小説の先駆者・新田次郎だ。
富士山レーダーは1999年まで日本の気象を見守り続け、日本に接近する台風をいち早くキャッチしていた。だが気象衛星で台風を観測できるようになったことと、牧ノ原と車山に代わりのレーダーができたことで、その役割を終えた。レーダードームは撤去され、2001年に富士山レーダードーム館として生まれ変わっている。
国道138号線沿いにある道の駅・富士吉田の隣が、当施設だ。でっかい「鳥籠」と呼ばれたドームが、国道からも見えるからすぐ分かるはず。入口で600円を払って中に入ると、すぐに映画を見せられる。これはプロジェクトXを編集したものだが、これを観れば建設にどれだけ苦労したかが分かる。
で、ぶっちゃけるが、この施設の見所はあとはレーダードームだけ。展示は何だかスカスカで、新田次郎のコーナーもとって付けたような感じだ。ちょっと面白いのは、富士山頂の気温が体験できるコーナー。でっかい冷蔵庫の中に入り、その時の富士山頂の寒さに驚けという趣旨だ。まあ、富士登山をする予定のない人は体験するのも一興。
僕はレーダードームの中に入ることができると勘違いしていたのだが、素通しのガラスを通して下から眺めるだけ。ちょっとがっかりだ。でも下から見ると年季が入っていて、厳しい風雪の中で日本を守っていたんだと、ちょっと胸が熱くなる。
あとは、富士山の気象観測を疑似体験できるコーナーがちょっとあるくらいで、これで600円はちょっと高くねっ? という感じ。まあ中に入らずとも、外から眺めて記念撮影でもしておけばいいかもしれない。
言うまでもなく、富士山は古来から信仰の対象だった、品川の回でも書いたが、江戸時代には富士山の信仰登山「富士講」というのが流行した。富士講というのはおもしろくて、江戸庶民はみんな富士山に登りたがったのだが、当時の生活から考えると高嶺の花だった。そこで長屋単位とかでお金を出し合い、クジで選んだ人を代表にして富士登山をさせたのだ。こうすることで、行かなかった人も登ったのと同じ御利益があるとされた。
そのうち行くのも大変だから、江戸市中にミニ富士山を作って、それを登れば同じ御利益があるようにしてしまった。それが今も都内にいくつか残る「富士塚」だ。まあ、涙ぐましいような横着なようなハナシである。
スバルラインを少し走り、樹海の中に逸れると
胎内とはここに祀られているコノハナサクヤヒメの胎内のことで、いわゆる洞窟だ。まずここに入ってから富士登山をして、帰ってからまたここに入る。そして出てくると生まれ変わる…という算段だ。この洞窟は正式名称を「船津胎内樹形」という。かつてこの神社の境内には、大きな数本のご神木があったという。それが噴火で倒れ、そこに溶岩が被さった。ご神木はやがて朽ちて、それが鋳型となって空洞ができた。これが船津胎内樹形である。
胎内には、なんと神社の社の中から入る。何だか、本当に神様の胎内に入るような感じだ。入口を入ると、後はずっとしゃがむか這うか。手が汚れるのは必至なので覚悟しておこう。ちなみに僕は身体がデカいため、途中までで遠慮しておいた。現世の僕はそれなりに納得の人生をおくっているので、生まれ変わるのは来世にしておこうと思う。
まあ少し進むだけでも、溶岩のウネウネとした気持ち悪い模様を観ることができる。何だかH.R.ギーガー的な形で、昆虫嫌いにはたまらないはず。こういうのが自然の力で偶然にできるのだから、やはり地球というのは生きているんだと思う。
奥まで行くと鍾乳洞のようになっていて、富士登山を終えた人はそれを乳房に見立てて、落ちてくる清水を呑んで生まれ変わる準備をしたという。現代では何とも非科学的な行為に思えるが、長生きができなかった当時は現世で転生することは悲願だったのかもしれない。
ちなみに、胎内に入るには200円が必要だが、富士山レーダードーム館の600円に比べると相当な価値があると思う。川口湖フィールドセンターではネイチャーガイドなども実施しているので、富士山麓の自然をもっと探検してみたいという人は参加するといいだろう。
山梨の郷土料理と言えば「ほうとう」がすぐに思い浮かぶと思うが、富士吉田市のB級グルメと言えば「うどん」である。今だとさらりとB級グルメなんて言ってしまうが、ほうとうよりも多量の小麦を使ううどんは昔は大変なごちそうだった。
富士吉田市は年中温度の低い気候と火山灰・溶岩地層が災いして、米作には向かなかった。そこで麦を作ったのだが、ハレの日には人々はうどんを作って食べたという。江戸時代になると富士講の客を相手にうどんを出す民家が増えて、それが現在まで残っているのである。富士吉田市には数え切れないほどのうどん屋さんがあるが、そのほとんどが普通の家なのはそういった理由があるからだ。
吉田うどんの特徴はその汁。ダシが効いているのだが、ビミョウに甘くて、何とも言えない味わいだ。麺は讃岐に似ておそろしく腰があるが、店によって腰の強さは違う。食べ終わる頃にはアゴにクラックが入っているんじゃないかと思う麺もあれば、硬いようでもちっとした麺もある。
食べる形態もいろいろだ。かけに並んだ天ぷらを自由に載せる讃岐スタイルもあれば、ぶっかけもあるし、つけ麺スタイルもある。ただ、肉うどんは吉田うどん独特なレシピだ。肉うどんなんて日本中にあると思うが、ここで肉うどんと言えば馬肉。甘く煮た馬肉が載っているのである。
さて、僕はご当地グルメの店を選ぶ時、地元民の意見をもっとも重視している。多少口に合わなくても、地元民が美味いという味こそがご当地の代表的な味だと思うから。変に観光客に媚びた味を体験しても、それは大した面白みがない。ということで、事前に富士山レーダードーム館のお姉さんに「あなたが一番おいしいと思う店を教えてください」と聞いたところ、即答で「美也樹」という答えが返ってきた。
実はこの店、前に富士吉田のビジネスホテルの人にも勧められたことがある。その時は時間が遅くて、残念ながら閉店していた。今日は昼ちょっと前だし、麺も売り切れになっていることはないだろう。張り切ってジムニーを店の前につけると、駐車場はすでに一杯だ。
中に入ると何とか席が空いており、座るやいなや“肉うどん”を注文した。価格表を見ると、何と350円。牛丼は280円で大騒ぎしているこのご時世に、手打ちうどんに肉まで入ってこの値段とは驚きだ。近所の700円うどんは非常に美味いが、この価格を見ると一気に萎える。
汁をひと口すすると、件の甘いダシが口に広がる。麺も一瞬「硬い…」と思うのだが、咬むと絶妙な食感で実に心地よい。この辺の店のうどんは多くが硬いので、かなり意外だった。アゴが疲れるなんてことはないので安心して食べられる。
僕が食べている間にも、地元の人々が次から次へと入って来る。平日の12時前だというのに、すごい客の入りだ。たしかにレーダードーム館のお姉さんが言ったように、地元で大人気店なのだろう。ゆっくり味わいながら食べていたが、あまりに客が来るので、最後のほうはほとんど丸呑み状態。それでも満足感は高い。皆さんに自信を持っておすすめできる名店だ。
その2に続く…