安藤忠雄は日本国内のみならず国外でも活躍する建築家。
河野隊長も僕も、彼の創る建築に心酔している人間のひとりだ。
彼の作品の多くは関西に集中しているが、関東にも代表作はある。
今回はジムニーで安藤忠雄建築を観る探検に出かけよう。
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「あまり建築には興味がないなぁ」という人でも、一度は“安藤忠雄”の名前を聞いたことがあるだろう。打ちっ放しのコンクリートを前面に押し出した手法を使い、大阪の個人住宅「住吉の長屋」で強烈なインパクトを世間に与えた。
生き方も非常にユニークな人で、建築事務所でアルバイトをしただけで専門的な建築の教育は一切受けていない。一級建築士だが、すべて独学で取得したという建築界ではまさに異端児と言われている。元プロボクサーだったというプロフィールも、安藤忠雄伝説をミステリアスにしているファクターだ。
「水の教会(北海道)」や「ベネッセハウスミュージアム(香川県)」などアイコンとなる建築を国内に多数残しているが、ランゲン美術館(ドイツ)フォートワース現代美術館(アメリカ)など、海外からも依頼が多くなっている。最近はイタリアでの歴史的建造物再生プロジェクトを手がけるなど、活躍の舞台が世界へと広がっているのである。また東京オリンピックデザイナー総監督や大阪府政策アドバイザーなど、様々な活動を積極的にこなしている。
僕は香川県直島にある地中美術館を観てから、安藤建築の虜になった。安藤忠雄の手が掛けた建築を観ていると、建物としてのユニークな外観もさることながら、氏はその中にある“空間”の創造に力を入れていることが分かる。建物は器であり、中にある空間こそ自分の作品であると考えているのではないだろうか。
だから、この人の創った建築は外から眺めるよりも、中に入るのがとても楽しい。ということで、今回は空間を楽しむことができる安藤建築をチョイスしてみた。
最初の探検スポットは、上野・東京芸術大学の近くにある「国際こども図書館」。2000年に日本初の児童専門の国立図書館として開館したが、建築が全面的に完成したのは2002年のこと。この建築のベースは1906年に建てられた帝国図書館であり、それをリノベーションする形で安藤忠雄が手を入れた。つまり歴史的建造物と安藤建築の融合という、最近のお家芸のひとつだ。
入口に着くと“むむむ、これが安藤忠雄?”という印象だ。ガラス張りのエントラントは安藤チックだが、外観は威厳のある帝国図書館そのままだ。いきなり疑心暗鬼なった僕は、受付のお姉さんを直撃。「ここって、安藤忠雄の設計なんですか?」お姉さん曰く「はい、そうです!」とのことなので、とりあえず中へ。
薄暗い廊下を抜けると、いきなりガラス張りの明るい廊下へ出た。まさしく、安藤建築。実はこの国際こども図書館、表側は帝国図書館を活かし、裏に安藤建築を足すような形で建てられている。表は歴史、裏は現在という表裏一体でデザインされているのだ。
2階の廊下はさらに広々とした空間で、陰陽を非常に大切にする安藤忠雄らしいデザインだ。安藤建築のお約束である「コンクリート」「ガラス」「木」がすべて使われており、廊下、階段、そしてちょっとした空き地のすべてが安藤チックだ。2階から4階にかけて増設された階段は、ドラマチックな空間作りが得意な安藤らしいデザインになっている。
圧巻なのは帝国図書館に元々あった階段をリノベーションした手法。鉄でできた西洋建築的な手すり部分を、すべてガラスで覆ってヘアラインの手すりを新設している。古い部分の良さを捨てることなく、新しい価値観を付加できているのは素晴らしい。
前述の通り、裏側のテラスから建物を観ると、まぎれもなく安藤デザイン(探検ギャラリー参照)。ちなみに国際こども図書館は現在増築工事中。新しい建物は完全に安藤忠雄の設計で、平成27年6月に弓形の新館が完成する予定だ。
中庭に完成予想図があったが、裏側に安藤建築を足した理由が理解できた。本館裏側と中庭、そして新館のすべてが揃って安藤忠雄的空間が完成するという趣向なのだろう。安藤忠雄は庭も面白く造れる人なので、コンクリートできっと何かをやってくれるにちがいない。完成はまだ2年も先だが、できたら代表的作品になることは間違いないのでとても楽しみだ。
東京大学と言えば、日本最高学府として知らぬ者はいないだろう。6大学6番目の学校卒業の僕には「へへっ〜」と思わず腰と曲げてしまう東大だが、こんな僕でもついに東大の中に入る日が来た。実はこの中に、安藤忠雄が設計した「福武ホール」があるのだ。
ちなみに安藤忠雄は工業高校卒だが、数々の偉業が認められて今は東大名誉教授になっている。その縁もあってなんだろうが、やはりこの建築ができたのは、その名が付いているベネッセコーポレーション会長の福武総一郎氏の力が大きいに違いない。
福武会長は香川県直島を中心に、瀬戸内海をアートでつなぐというプロジェクトを進めてきた人で、「瀬戸内国際芸術祭」の仕掛け人のひとり。過疎化した直島をアートで活性化しようと、ベネッセハウスや地中美術館など次々と美術施設を造った。そしてこれらの建築設計を担当したのが安藤忠雄なのである。
僕は一度、直島で福武氏にインタビューをしたことがあるのだが、とにかく三度の飯よりもアートが好きと言ってやまないような人だった。天下のベネッセコーポレーションの会長なのに、スーツは青山、シューズはハルタであることをかえって自慢にしていた。「そんなものにお金をかけるなら、アート作品を買いたい」と目を輝かせていたのが印象的だった。
福武氏は早稲田大学卒、安藤忠雄は高卒。そんな二人が「東大生よ、創造力とはこういうことだ」と言わんばかりの建築を寄贈してしまったことは実に小気味がいい。
守衛所のおじさんに「東大生じゃないんですが…」とひと目見れば分かるような断りをいれて、構内に入らせてもらった。ここは基本的に出入り自由みたいで、ジョギングや犬の散歩をしている人もいる。どうも先ほどのエクスキューズは、かなり恥ずかしいことだったようだ。
正門から右に100mほど歩くと、ひと目でそれと分かる福武ホールがお目見えした。建物に沿って長く続くコンクリートの壁は「考える壁」と名付けられているようだが、デザイン的な主張だけでなく、中で勉強する学生が通行人の目にさらされない配慮にもなっている。
壁の一部にはスリットのような隙間が開いており、これは安藤建築お馴染みのデザイン。雪見窓のように、ちょっとだけ外が見られるという趣向は、安藤忠雄が古の数寄屋造りにかなりの影響を受けている証拠だと、僕は勝手に思っている。コンクリートとか現代建築の最高峰にいる安藤だが、実は枯山水とか書院造りとか、和のテイストが大好きなんだとしばしば感じる。
例えばこの福武ホールだが、地上2階地下2階という造りで、地上から地下にかけて総容積の2分の1にも近い吹き抜け空間が作られている。安藤忠雄はこういう空間を好んで作る傾向にあるが、これは庭の代わりなのではないだろうか。
階段と床が複雑に絡み合うこの空間に、雨が降り風が吹き陽が降り注ぐ。無機質なコンクリートはそれらによって彩りされ、やがては季節ごとに景色を変える庭のようになる。もちろん、それは観る側の感性によってビジョンが変わるわけだが、いくつもの安藤作品を享受してからここを訪れると、右の写真の空間が水が流れているように感じるから不思議だ。
ちなみに中に入るには東大生の学生IDカードが必要なので若干の劣等感にさいなまれるが、1階にあるカフェは誰でも利用できる。安藤建築を眺めながらのティータイムなんて、ファンなら至福のひと時だ。
本郷の東大からジムニーを一気に走らせ、今度は表参道へ。この辺りは安藤建築が密集しているエリアだ。向かったのは、都内の安藤建築の代表格である「表参道ヒルズ」。ちょうど表参道の真ん中くらいにある商業施設で、もともとあった同潤会青山アパートを再開発する形で建てられた。2006年に開業した当時はエッジーなファッションスポットとして注目を集めたが、昨年に東急プラザ表参道ができてからは少々影が薄くなった感じがする。
さて、表参道ヒルズの見所は「中」と「裏」。商業施設ということもあり、表のデザインにはあまり安藤忠雄らしさは出ていない。敢えて言うなら、居住区がある西側角が安藤チック。
中はまさしく、という設計だ。中はV字形になっており、各階ごとに上下階に行けるスロープが設置されている。店舗はスロープに沿ってあるため、すべてが斜めになっているというユニークな構造だ。スロープは上下に行けるのだが、設計の重心は地下に向かっている。中央部に踊り場を兼ねた階段があり、最終的にバランスはここへ集まっているようだ。
地上部より地下が深く、そして全体がスロープで構成されているのには安藤らしい計算があった。表参道にはケヤキ並木が続いているが、安藤はそのケヤキ並木よりも低く設計することにこだわった。街の景色に建物が融合するようにとの配慮だ。表参道ヒルズは住居部があるため、住人たちが安堵感を持って帰宅できるように…という心遣いだ。
また、表参道は緩やかな坂道になっている。この坂道を中に再現したかったと安藤は語っている。中を表参道と同じ傾斜にすることで、表参道を建築のパブリックスペースにして、中に入ってきた客はそのまま表参道を歩いているような気分にさせるというわけである。
さて、一度表に出て建物の裏側に回ってみよう。東端に公衆トイレがあるのだが、これも安藤デザインのようだ。公衆トイレとは思えない洒落た造りで、思わず用を足してみる。まあ、中は普通だったが…。
表参道ヒルズが建っている場所は、かつて関東大震災後の住宅供給対策として建てられた同潤会青山アパートがあった場所だ。昭和の初めとしてはお洒落な鉄筋のアパートメントで、老朽化していたのにわざわざそこに住んでいる人たちもいたくらいだ。再開発で惜しまれつつも取り壊されたが、一部が表参道ヒルズに取り込まれたカタチで残っている。
安藤忠雄は古い建築を活かすのがよほど上手と見えて、この接合部分もとてもいい景色になっている。表参道ヒルズの裏側をなかなか見る機会がなかったが、廻ってみるとコチラは安藤節炸裂だ。やはりスロープになっていて、植栽が施してある。淡路島の夢舞台を思わせるダイナミックなデザインだ。
表参道ヒルズの屋上には植栽が施されており、通行人の心をほっとさせる配慮もされているのだが、残念ながら外からは分からない。
表参道ヒルズの裏手に行ったら、もうひとつ観る建築がある。「フォレストプラザ表参道」という集合住宅だ。一部は店舗や事務所になっている。ここも表参道ヒルズと同じ森ビルが開発をしたところ。一説によると、同潤会青山アパートメントを立ち退かされる居住者の仮住まいとして造られたらしい。もちろん、今では高級賃貸マンションとして僕らのような安藤ファンの垂涎の的となっている。
安藤忠雄はマンションも多く手がけているが、個人的には駄作もかなり多いと思っている。不動産会社のリクエストがあるから仕方が無いのだろうが、まったくオーラがない建築もないわけではない。その中では、フォレストプラザ表参道はおもしろい造りだと思う。
レゴブロックを積み上げたような階段状デザインと、1階店舗部分にあるアーチ、角にある台形の別棟は新しくもどこか懐かしい雰囲気がする。安藤忠雄が若かりし昭和の30〜40年代、それは現在のマンションのような庶民的なものではなく、マンションという名前が特別に思えるような時代。それがフォレストプラザ表参道には感じられる。
安藤忠雄がかつて東大で教鞭を取っていた頃、学生に原宿を評して「ゴミのような街」と言ったそうだ。雑多に建築が立ち並ぶ原宿に、安藤の美的感覚が許さなかったのか。そんな辛辣な言葉を投げかけた原宿に、実は安藤建築は意外と多い。
表参道ヒルズからあるいて5分ほど、キャットウォークストリート沿いにユニークな作品が1軒残されている。この建物は当初、hhstyle.comというデザインファニチャーの店として建てられた。だが、同店が原宿を撤退した後はナイキが、そしてその後にBODY WILDと次々にテナントが変わっている。
残念ながら内部の撮影許可が下りなかったのでお見せすることができないが、地上2階地下1階の空間が広がっており、外観から想像する以上に広い。何度も言うようだが、安藤忠雄建築の建物部分は“器”に過ぎず、その内部や周囲の空間こそが彼が創り出しているものなんだと思う。
外壁は黒の鉄板という安藤にしては珍しい建築材を使用しているが、内部はコンクリートを活かした魅惑の空間。特に屋根の尖った部分が、下から観ると非常に天高に感じられ、こんな大きな建物だった? と驚かされる。ここが安藤マジック。筆舌に尽くしがたいので、冷やかしついでに内部を観てほしい。
その2へ続く
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