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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.028
大人が楽しい栃木縦断ドライブ
大人が楽しい栃木縦断ドライブ

旅の1日目は頓死寸前まで栃木県のソールフードを食べ続けた探検隊。
2日目は観光スポットの少ないという栃木県の中でもおすすめのスポットを巡ってみたい。
石の王国栃木にさわしい場所をご紹介しよう!

※上記の写真は特別な許可を得て撮影しています

画像をクリックすると拡大&情報が見られます(スマホ、タブレット一部機種を除く)。

地下に広がる幻想空間

大谷石の採掘場跡を開放している「大谷資料館」。帝国ホテルの石もここから切った。

日本は火山国なので、実に多くの鉱石が産出される。建材用の石も多く、栃木県の大谷地区で産出される「大谷石」はご存じの方も多いのではないだろうか。まさに日本を代表するブランド石材だ。

大谷石は耐火性に優れている上に柔らかくて加工しやすことから、明治期から建材として注目され始めた。フランク・ライト・ロイドが設計した初代の帝国ホテルなど有名建築に使用されているだけでなく、宇都宮周辺にある石蔵や壁、門柱、プラットホームなど、その用途は実に広い。

大谷石はそのほとんどが地下に眠っている。日本の大部分がまだ海の下にあった6430万年前から260万年に、火山の噴火で噴出した火山灰や砂礫が堆積して大谷石になったとされている。昭和30年代から50年代にかけての建築ラッシュと機械化によって大谷石は産出のピークを迎え、大谷地区には多くの採石場が掘られた。1989年には採石場跡が大きく陥没し、住民が避難する騒ぎになったことはまだ記憶に新しい。

今回我々が訪れた「大谷資料館」は、明治初期に発掘された採石場の跡地だ。旧帝国ホテルの石もこの場所で採掘されたらしい。

地下空間にあるオブジェは、まるで古代遺跡のようだ。ロケで多く使われるのもわかる。

ここには特段何かがあるわけではない。だが広大な採石場跡はまるで地下迷宮で、その幻想的な空間に思わず心を奪われる。中は常に平均温度8℃を保ち、他の採石場跡では国の古米貯蔵所になっていたようだ。また戦時中には、陸軍の秘密倉庫として活用されていた。

大谷石資料館は2年ほど前から閉鎖されていたのだが、今年4月にオーナーが変わって再オープン。かつてのようにアートの展示や結婚式などにも活用できるようだ。隊長と山岡Cも、ここでAPIOのイメージフォトを撮影。ただし、中は外気温と30℃ちかくの温度差があるため、湿気が霧となって大苦戦(冒頭の写真がそれ)。“幻想的だけど、ジムニーが見えない〜”と絶叫気味の山岡Cをサポートすべく、後ろからレフ板で風を送ったみたところで何の助けにもならない。

まあ、僕がいても役立たずだと思ってひとり奥に探検にでかけたのだが、これが本当に広くて暗いので怖い。奥の暗がりから地底人が飛び出してきて拉致されるのではないかという恐怖感にとらわれる。大抵の所はロープが張られていて行けないようになっているが、石を切っていた職人さんは果たして迷子になったりしなかったのだろうか。

前述の通り、中は相当寒いので、外が30℃越えだろうが何か羽織るものを用意しておくことをオススメしておく。半袖、短パンの僕は、外に出た時に若干アイスマン状態だった。

石でできた貴重な集落“徳治郎”

徳次郎町西根地区にある石でできた街並み。「うつのみや百景」に指定されている。

宇都宮市に徳次郎町という場所がある。江戸時代は日光街道の宿場町で、ずいぶん栄えたらしい。その徳次朗町の中に西根地区という集落がある。ここは全国でも徳次朗石(大谷石の一種)で作った建築が多く現存している地域だという。宇都宮周辺には大谷石でできた石蔵を散見することができるが、村ごとというのはこの辺でもかなり貴重なようだ。それゆえ、宇都宮市が指定している「うつのみや百景」にも選ばれている。

西根は明治初期に大火に見舞われ、集落のほとんどが消失したという。ちょうどその頃、近代化の波で大谷石の産出と流通の進化が進み、村の再建には耐火性に優れて比較的安価な大谷石を使おうということになったようだ。

僕は石造りにはとんと暗いのだが、詳しい人によれば屋根まで石瓦を使っているのは非常に珍しいという。たしかに良く見れば、屋根はどことなく異国情緒溢れるデザインで、何故にこういう形になったのかまでは分からなかった。

石瓦を葺いた屋根。まるで神殿のようなデザインだ。

さて、徳次郎石は西根集落の裏の山で産出する石で、前述の通り大谷石の一種とされている。ただ、大谷石よりも色が白く、キメが細かい美人の石だ。昭和40年代後半の高度成長期には大谷石の2倍の値段で取引されていたらしいが、もともと埋蔵量が少なかったために、この時期をピークに産出量が減少していった。

西根地区は元来、要衝の地だったようで、さらに調べればいろいろと由来がありそうだ。集落を少し歩いてみたが、どの家もかつては豪農だったのか、大きく立派な家や蔵が多い。日本家屋というと木造のイメージが強いので、石造りの建築並ぶ町並みは、何とも不思議な雰囲気を放っている。しばし辺りを散策すれば、きっと異邦人になった気分に浸れるはず。

栃木県人のソウルドリンク「レモン牛乳」

関東・栃木レモンは200mlで80円、500mlで135円。ミルクセーキのような味がクセになる。

ジムニーはさらに宇都宮の北部を目指してひた走る。この辺でティータイムにしようということで、隊長に勧めた飲み物が栃木県人のソウルドリンクとも言える「関東・栃木レモン」だ。栃木乳業というメーカーが製造する、いわゆるレモン牛乳だ。

商品名に「関東」と「栃木」が付いているので、“栃木が関東なのは誰でも知ってるよ”と思っていたのだが、これには理由があった。実はレモン牛乳は、戦後すぐに関東牛乳というメーカーが「関東レモン牛乳」という名前で売り始めた商品だった。ところが2004年に関東牛乳が廃業してこの商品はなくなってしまったのだが、栃木乳業が関東牛乳から商品を譲り受け、2005年にめでたく復活とあいなった。こうした背景から関東牛乳と栃木乳業のふたつの冠が付いているのである。

ちなみになぜレモン牛乳と言わなくなったかとというと、雪印集団食中毒事件が発端となり、2003年以降は生乳100%のもの以外は牛乳と謳えないから。そう言われると、世の中でコーヒー牛乳と書いた商品も見かけないなぁと先日銭湯で思ったばかりだ。

さて、レモン牛乳というネーミングからどんな味を想像するだろうか。賢明な読者諸兄ならお分かりになると思うが、牛乳にレモン果汁は絶対にあり得ない。なぜなら凝固してしまうからだ。レモン牛乳はまったくレモンの味はしない。酸っぱくもない。つまり何となく香りがするイメージ商品なのである。

こちらはSAなどで売られている便乗商品のクッキー。商品名が本家とビミョウに違う。

酸っぱい味を想像しながら飲むと、そのマイルドさにかえって衝撃を覚える。麦茶だと思って飲んだらめんつゆだったケースの逆を想像してほしい。味はミルクセーキにそっくり。お子様味が嫌いな向きにはいけてない味だが、コーヒー牛乳とかいちご牛乳が好きなら、かなり美味しいのではないかと思う。隊長も「うん、なかなか美味しいですね」と言ったので、このコーナー的にはおすすめとさせていただく。

ちなみに、宇都宮市の針谷乳業から「針谷おいしいレモン」という類似商品も出されるほど、レモン牛乳は栃木県内で人気。さらに、県外へのお土産として、レモン牛乳に便乗したものやコラボ商品など様々な商品が売られている。

まず本家とコラボ商品としては、セブンイレブン限定の「関東・栃木レモンシュークリーム」、山崎パンの「関東・栃木レモンクリーム&ホイップランチパック」などがある。また関東・栃木レモンのパッケージデザインを使った携帯ストラップやメモ帳などのグッズも販売されている。

便乗系では「レモン入り牛乳クッキー」「レモン牛乳アイス」「レモン牛乳まんじゅう」などなど。たしかにいかにも昭和なグラフィックはかわいいので、味に関係なく人気があるのも分かる気がするが。ちなみに、写真のレモン入り牛乳クッキーは、コラボものと勘違いして買ってしまった商品だ。

関東・栃木レモンは県内のコンビニやSA、PAなどで入手することができるので、一度話のネタに飲んでみてほしい。くどいようだが、僕はかなり旨いと思う。

栃木県は“隈研吾”作品の宝庫

那須町芦野にある「石の美術館」。石の造形がアーティスティックだ。

ジムニーは那須まで北上し、そこから東へと方向を変える。次に向かうスポットも石つながりの場所。前回は安藤忠雄の建築をご紹介したが、安藤とともに日本現代建築の双璧をなしているのが、隈研吾(くまけんご)だ。安藤がコンクリート打ちっ放しを特徴としているなら、隈は無機物有機物を巧みに組み合わせた建築が特徴だ。

実は栃木県は隈研吾作品の宝庫。2000年には「那須歴史探訪館」「馬頭広重美術館」「石の美術館」の3施設を次々と手がけた。また2006年には公的施設「ちょっ蔵」も造っている。隈研吾は神奈川県生まれなので、どういう縁で栃木県に作品を多く残しているのかは分からないが、那須周辺をグルッと回るだけで3施設が観られる。

この中から次に訪れたのは「石の美術館」。この美術館がある那須町芦野は芦野石という石材が産出される地域で、この美術館は芦野石を扱う石材屋さんがやっているらしい。美術館はそれほど大きくないのだが、その名の通り“石でこんな現代アート的なクリエイティブができるんだ”と認識できておもしろい。

細く切ったり、格子に組み合わせたりと、まるで竹や木のように自由に石材を駆使している。徳次朗町の集落を見た後だからか、その驚きもひとしおだ。この美術館は展示物を観るというよりは、建築や空間を鑑賞するところなので、その辺はおふくみおきを。

那珂川町にある「馬頭広重美術館」。歌川広重の浮世絵を中心に展示する。

石の美術館を後にした我々一行は、芦野でまたまたそばを食し、今度は那珂川町馬頭に向かった。ここには「馬頭広重美術館」がある。この美術館は、阪神大震災で被災した蔵から大量の浮世絵が発見されたのだが、その持ち主と縁のある那珂川町に寄付されたことから建設されたという。

この美術館は石の美術館とは対象的に、非常に繊細な造形が各部に施されている。2000年代初頭に隈が多用した木を細く切って並べる手法で、数寄屋造りのような上品さに仕上がっている。それでいてコンクリート打ちっ放しを使った大胆な空間もあり、建築の面白さを堪能できる美術館だ。

もちろん展示されている浮世絵もすばらしく、まだ写真のなかった江戸末期の世俗が垣間見られて飽きない。展示スペースはそれほど広くないが、わざわざ行ってみる価値はある。

今回の探検はここで終了だ。那須の「スープ焼きそば」や「ショウゾウカフェ」も探ってみたかったが、それは次回の楽しみに取っておきたい。さて、次号のジム探はいよいよ関西へ。瀬戸内国際芸術祭でわく小豆島に上陸する。お楽しみに!

<写真:山岡和正><文&写真:山崎友貴>  

入口だけ見ると怪しい宇都宮動物園。入るのに若干勇気が必要だ。
スタッフの皆さんも動物もフレンドリー。ちなみにこのポニーはちょっと怖い。
遊園地ものんびりとした雰囲気。園内に流れるCMソングはやめてほしい。
かつては遊園地のアトラクション“だった”らしい宇都宮城。今はシュールな展示内容。
宇都宮市民に人気のある餃子専門店「香蘭」。
香蘭には焼き餃子のほか、水餃子と揚げ餃子もある。共に250円。
宇都宮の泉町にある「蔵」。100年以上経つ蔵を店舗にしている。
大谷資料館の中では結婚式やイベントなどを行うこともできる。
大谷石の採石場に掘られた「大谷平和観音」。立ち寄り観光スポットのひとつ。
徳次郎町西根地区にある石蔵。ゴシック調でいかにもお金持ち感がにじみ出ている。
隈研吾の遊び心が炸裂した石の美術館の茶室。元はJAの倉庫だった。
馬頭広重美術館の一角。その陰影は隈研吾テイストそのもの。