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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.032
五時代が融合した町、川越
五時代が融合した町、川越

川越を探検している今回のジム探だが、この町の魅力は古さだけではない。
古い伝統の中に現代的な感性が育ち、そしてそれが魅力的なコントラストになっている。
後半では川越の新しい魅力についてもお伝えしていこう。

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意外な“発祥”が多い川越

川越中心地の道は城郭都市だけあって狭く、鈎の字に曲がっている場所が多い。

ここで川越の道路事情について、ちょっと触れてみたい。一番街周辺の主要道路からひとつ裏に入ると、昔の道がそのまま使われていることが多い。こうした道は大抵城があった頃の名残であるから、とにかく狭く至る場所で鈎の字に曲がっている。まさにジムニーにうってつけの道路だ。

勘のいい諸兄はもうお気づきだと思うが、これは城に敵が攻めにくいようにわざとしているのだ。特に鉄砲が登場した安土桃山以降の城下町はこうした鈎形の道にすることが多く、現代の自動車社会にはまるきりマッチしていない。T字路はあるわ、橋で渋滞するわ、さらには鉄道で道が分断されるわで走るのが大変だ。

でも、だからこそジムニーでのんびりと裏道に入って探検するのが楽しい。川越には裏道に隠れスポットが多く存在しているが、東京電力川越支社(埼玉県川越市三久保町17-4)もそんな場所のひとつ。「単なる電力会社の営業所じゃないか」と思いきや、ここは『埼玉県電灯発祥の地』なのである。

明治34年にこの地に埼玉県初の火力発電所が建設され、100kW発電機2台で川越市内に電力供給を開始したからなのである。その電力を使い、明治39年には川越〜大宮間を結ぶ電気鉄道が開通した。西武鉄道の電化がスタートしたのは大正11年からだから、かなり早い時期から川越には電車が走っていたことになる。今では歴史を感じさせる町だが、明治では最先端をいっていたハイテクシティだったのはおもしろい。

川越発祥と言えば、映画「ウォーターボーイズ」で市民権を得た男子シンクロも川越が発祥。男子シンクロは県立川越高校の男子水泳部が1988年から学園祭で公演をはじめた。その模様がTVニュースで放送されたことがきっかけで、あの映画が生まれたのだという。ちなみに川越高校は県下でも随一のエリート高だ。

三芳野神社の参道「細道」。現在の参道は当時の場所と異なるようだ。

10へーをいただいたところで、もうひとつ川越発祥トリビア。誰でも知っている「とおりゃんせ」の童歌。これも実は川越が発祥なのだ。都市伝説マニアにはいろいろな歌詞の意味がこじつけられてるが、実はあの歌はある川越の事情から生まれた。

本丸御殿の脇に今もある三芳野神社。ここは古くから庶民に天神信仰の神社として親しまれていた。ところが神社のある場所が築城するのに都合がいいということで、三芳野神社を囲むように川越城が作られてしまったのである。だが、古くから親しまれた神社だけに、城主も開門から夕方の閉門までは庶民の参拝を許可した。

ところが神社に行くには、南大手門から入って城の敷地内をぐるぐると回り、最後に細い参道を通って神社に辿り着く…といった風だった。しかも参拝者に混じって冠者が城内に入り込むことを防ぐため、参拝者は帰りに厳しくボディチェックをされたというのである。歌の歌詞そのままである。

童歌は城内の子女に歌われ、城下に広がり、やがて江戸へと伝わっていったようだ。とおりゃんせ発祥の地として小田原・菅原神社も名乗りを挙げているが、歌の意味、城の中にあったという状況を鑑みると、やはり三芳野神社説がしっくりくる。なお三芳野は川越(河越)の旧地名で、「神聖で美しい土地」という意味だそうだ。

歴史の町にある新注目スポット

三栖右嗣作品が展示されるヤオコー川越美術館。伊東豊雄による建築も素晴らしい。

最近、川越でお気に入りになっている場所が「ヤオコー川越美術館」だ。埼玉県下を中心に事業展開しているスーパーマーケット・ヤオコーが、2012年3月に開館させた。収蔵品は写実派の三栖右嗣の作品だけだが、リアリズムだけではない三栖の作品は写真を撮る人間には非常に参考になる。

美術館建築は「せんだいメディアテーク」や「多摩美術大学図書館」などの設計を手がけた建築家の伊東豊雄氏。直線を意識した外観に加えて、球形を巧みに組み合わせた室内デザインは実に秀逸だ。三栖の作品の雰囲気をさらに魅力的に見せている。実際、三栖の作品を観に来るよりも、伊東建築を観に来る人のほうが多いようだ。

入館料は300円と安い。しかもこの美術館には大きな特徴があって、「爛漫」という桜の大作の前でティータイムが楽しめるラウンジがある。コーヒーなどもほとんどが300円と“ヤオコー価格”なので、気軽に入ることができる。無料の駐車場があるので、ジムニーでフラッと寄ってお茶がてら美術鑑賞を楽しんで欲しい。

もうひとつ注目の新スポットが「ハツネヤ・ガーデン」だ。川越にはかつて多くの高級料亭があり、明治から昭和初期にかけてはわざわざ東京から来る客がいるほどだったらしい。『初音屋』もそのひとつで、なんと150年前からある老舗だ。

ただ、時代の流れで川越の料亭に訪れる人もめっきり少なくなり、各店舗は軌道修正を余儀なくなくされた。リーズナブルなランチなどを行う店も出てきたが、この初音屋は今年の春に大幅にリニューアルを実施。その結果、フレンチとウェディングを主体としたお洒落な店に生まれ変わったのだ。

一番街のような町並みを見ると意外に思うかもしれないが、実は川越は現代的な洒落たレストランやカフェが非常に多い。多くは市外からやってきて起業するようだが、個性的でクールな雰囲気の店がかなりある。

「ハツネヤ・ガーデン」はそこそこ値が張るので今回は断念したが、かつての高級料亭の建築の中で是非ともフレンチを味わってみたいものだ。ガーデンの隣には「ハツネヤ・カフェ」が併設されており、こちらは気軽に入ることができる。カフェは現代建築で、いかにもという雰囲気だが、定番メニューである「レモンタルト(600円)」は相当おいしい。

この店以外にも、本川越駅近くにある昭和初期の古民家を改装した「一軒家カフェ・パチャンガ」(川越市新富町2-13-5)や、大正期の蔵造り建築を改装した「カフェ・エレバート」(川越市仲町6-4)は僕のオススメ店だ。パチャンガは季節ごとのスイーツが充実しており、エレバートはハンドルを握ることがない人は川越地ビール「COEDO」の生が飲める。

古い建築を利用した店には不思議な新しさと日本人が落ち着く雰囲気があり、多くの古民家がいい状態で残っている川越にはいいカフェも多いのだ。

時代が融合した川越グルメ

菓匠右門の「いも恋」(160円/個)。川越土産でかなり人気のお菓子。

川越と言えば「サツマイモ」というイメージを持っている人は多いと思う。確かに、川越にはサツマイモを使った商品が溢れている。意外だが、現在の川越周辺ではそれほどサツマイモは栽培されていない。作られていても、ほんの少量だ。川越がサツマイモの名産地だったのは、江戸時代のこと。

江戸時代にサツマイモの栽培方法が確立されてからというもの、幕府は飢饉に備えてその栽培を奨励した。川越藩は幕府の要職が藩主だった藩だから、当然率先してサツマイモ栽培を推進した。サツマイモは川越周辺のみならず、藩内の領地で広く作られたようだ。

狭山などは水はけのよい関東ローム層地質だから、サツマイモとお茶の栽培に適していたのだろう。ちなみに狭山茶はもともと平安時代から京都から川越に持ち込まれて作られていたが、後に狭山で作られたことから狭山茶になった。

話を戻すが、そういった事情でサツマイモが川越の名産になり、その名残が現代に残っているわけだ。サツマイモを使ったお土産の中でイチオシなのが、菓匠右門の「いも恋」だ。

熊本の友人いわく“いきなり団子そっくり”だそうだが、まあそれは触れないようにして、味はおいしい。サツマイモを使った菓子はいろいろあるが、中には「?」の商品も多い。失敗したくない人におすすめできる無難な味だ。

写真は特上(3700円)の鰻重。ちょっと高いが、食べる価値あり!

サツマイモと同様に、江戸時代から川越の名産だったのが「鰻」だ。お伝えしたように川越は入間川や荒川が近く、そこで天然鰻がたくさん穫れたという。川越で穫れた鰻は舟で江戸まで運ばれたというわけ。

荒川沿いにある千住宿では、川越で穫れた鰻を食べさせる店が江戸期にできたが、最初はあまり人気がなかったようだ。身が泥臭くて弾力性が強く、小骨も多かったからだ。天然ものは大ぶりで歯ごたえが凄い。

そこで美味く食べるための調理法として考えられたのが、蒸して焼くという方法だった。これならふんわりとした歯ごたえとなり、油っぽさや泥臭さも消える。この調理方法が確立されてからというもの江戸庶民の間でも鰻が人気となり、単なる川魚から脱却できたのである。

今はもちろん川越の天然鰻など使っていないが、市内には数多くの鰻がある。川越の鰻屋と言えば「いちのや」が有名で、ここの鰻も美味いのだが、絶対にオススメなのが「小川菊[おがぎく]」(川越市仲町3-22)だ。小川菊は江戸後期から180年続く老舗中の老舗で、現在の店主で七代目。建物も古く、80年経っているものを震災を機に改装した。

ここの鰻の美味しさは衝撃的で、外はパリッと中はフンワリ、そしてタレの味は何とも上品な濃さなのだ。半世紀ちかく色々な場所で鰻を食べたが、現段階で間違いなく第一位。日によっては午後早めに鰻がなくってしまうことがあるので、お昼ちょっと前が狙え目だ。

川越の地ビール「COEDO」。日本のみならず、海外へも輸出されている。

最後は家に帰ってゆっくり楽しみたい自分土産。川越が世界に誇る地ビール「COEDO」だ。コエドビールはお隣の三芳で造られたブランドで、物流と農業の商社が多角事業のひとつとして始めた。酒税法が改正されたことで、各地で地ビール作りが盛んになったが、コエドビールもそのひとつに過ぎなかった。

だが、単なるお土産的な色が強かった地ビールは次々と消えていき、コエドビールも見直しを迫られることとなった。2006年にブランディングをすべて見直し、プレミアムビール路線に舵を切ったコエドビールはその後ヒット商品に。

現在では日本各地に流通しているだけでなく、アメリカ、韓国、香港、シンガポール、オーストラリア、フランスといった海外にまで輸出される立派なブランドに成長している。

コエドビールの原料は、もちろんサツマイモが主体。5つのテイストがあり、どれも個性的な味がする。ベルギーやドイツのビールが大好き…という人にはおすすめだ。瓶やラベルがとても洒落ているので、友人へのお土産にもぴったり。

ちなみに川越には「鏡山」という地酒があり、一度は経営難で暖簾をおろしたものの、若い有志が集ってブランドを復活させた。こちらも川越のお土産物屋や酒屋で売られているので、ぜひお試しあれ。

というわけで、今回は川越のさわりをご紹介したが、まだまだ面白い場所がある。河野隊長や山岡Cも行きたがっているので、また第二弾も考えたいと思う。

ちなみに川越氷川神社の例大祭「川越まつり」が10月19日(土)、20日(日)の2日間で開催される。380年にわたって行われている雄壮な祭りで、各町から出る山車は江戸の「天下祭」の様式を現代に伝える貴重なものだ。一番街を練り歩く山車を見ているとまさに江戸時代にタイムスリップしたような感覚になる。一度はご覧いただだきたい日本の姿だ。

というわけで、次回のジム探もお楽しみに。

<文・写真:山崎友貴、協力:川越専科編集部>

かつての川越城の様子をあらわす図。現在の町が3〜4つほど入る大きさ。
喜多院にある徳川家光誕生の間と春日局化粧の間。江戸城から移築されてきた。
川越市立博物館の内部。縄文期からの川越の歴史を知ることができる。
喜多院の隣になる仙波東照宮。日本三大東照宮のひとつ。
川越氷川神社で配布されている縁結び玉。良縁に恵まれると言われている。
昭和初期まで使われていた仙波河岸。現在は公園にその名残を残している。
大正浪漫通りには大正時代に建てられた建築が多くならぶ。
大正浪漫通りの突き当たりにある仲町観光案内所の内部。明治期の蔵造りの内部が見られる。
駄菓子屋が多く並ぶ菓子屋横丁。ここも江戸の風情が残る。
ヤオコー川越美術館のラウンジ。作品を観ながらのティータイムは贅沢。
ヤオコー川越美術館の展示室。作品もさることながら建築も秀逸。
川越のB級グルメ「太麺焼きそば」。蓮馨寺参道の出店が発祥。
川越まつりで出る山車。中には国の重要文化財もある。
山車の中で舞われる神楽は、老若男女によって行われる。
日本の伝統美で至るところで見られる2日間。
各山車は市内をぐるりと巡り、氷川神社前で大団円を迎える。