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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.006
足尾銅山
足尾銅山

「日本はもっとおもしろい!」を合言葉に各地を旅するジムニー探検隊。
第三回は、かつて「鉱都」と呼ばれ日本の産業や経済を支えた一大銅山・足尾を探る。
今回は"河野隊長"も隊に加わり、時代という波に消えつつある町を探訪。
そこは繁栄と悲劇がコングロマリットする夕刻の場所だった。

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銭形平次から田中正造まで!? 日本最大の銅産地

足尾の本山にある精錬所跡。緑化事業により、山肌はすっかり緑で覆われてる。

我々はジムニー探検隊を称しているが、探検隊と言えば川口浩も藤岡弘、も洞窟と相場が決まっている。なぜ人は洞窟を探検するのか。それはきっと洞窟にはロマンがあるからだ。奥にはきっととてつもないものがあるに違いない…、そう思わせる不思議な魅力が洞窟にはある。

とは言っても、自然の洞窟や鍾乳洞ではちょっと芸がない気がしたので、今回は坑道に入ってみることにした。映画「黒部の太陽」や「海峡」を観れば分かるが、トンネルとか坑道は男の生き様の象徴。困難なミッションを成功させた栄光の証だったりする。

ところで日本にはいったいいくつの鉱山があるかご存じだろうか。数えるのが面倒なので、興味のある方はコチラをご覧いただきたい。とにかくすごい数だ。金をはじめ、銀やら銅やら鉄やらと、多種多様な金属の鉱山が日本にはある。だが残念ながら、そのほとんどが閉山となっており、現在も採掘を続けているのはわずかにしかすぎない。栃木県にある足尾銅山もそのひとつ。足尾銅山と聞けば、ほとんどの人が「ああ、社会で習った」と思うはず。あの足尾鉱毒事件の舞台となった山である。

足尾銅山は1610年に二人の農民によって偶然発見された。江戸幕府の直轄となり、そこで採掘された銅は日光東照宮や芝・増上寺、江戸城などの屋根などに使われた。銭形平次の飛び道具である「寛永通宝」も、足尾の銅が使われたらしい。明治初頭の一時期は廃山同様になっていたが、古河財閥の創業者である古河市兵衛が経営するようになってから近代化が進み、20世紀初頭には日本で産出される銅の約4分の1が足尾で掘られたという。そのため足尾は「日本一の鉱都」と呼ばれ、麓の町も発展した。

ところが産業が発達すると必ずトレードオフとなるのが環境であり、ここ足尾でも鉱山の発展と共に排煙や鉱毒、ガスが発生して、渡良瀬川流域の住民を苦しめた。この惨状を救済すべく立ち上がったのが栃木の政治家・田中正造であり、社会の教科書にも出てきた人物である。ちなみに昨年発生した東北大震災の影響により堆積所が決壊。渡良瀬川下流では基準値を超える鉛が検出されたというから、銅山開発による環境破壊は相当なものだと言える。

1989年まではJRの貨物線が足尾まで走っていた。廃線跡は線路は無残に外され、郷愁だけが漂う。

そんな悲劇もあった足尾銅山だが、1973年に閉山。以後、産業の犠牲、負の遺産として保存する動きが活発化し、世界遺産登録に向けて運動が続いている。教訓として今は静かに眠る足尾銅山を前にして恐縮としか言えないが、河野隊長も僕も「犬島精錬所」とか「軍艦島」とか産業廃墟には目がない質。オフレコだが、河野隊長は20年ほど前にデートドライブで足尾に行ったというけしからん輩である。かくいう自分も、山肌が無残に禿げてしまった銅山跡を写真で見て「うほ、たまらん!」と思ったくちだから、人のことは言えない。

東京から約2時間半で足尾の町に到着。もちろん現代でも人が住んでいるが、やはり鉱都と言われ栄えた時代は遙か彼方で、今は人気もまばらな寂しい場所となっている。露天掘りの跡が残る山が観られる「銅親水公園」にワクワクしながら向かった。ところが、着いてみるとその風景に我々は仰天することになる。

足尾では昭和30年代より緑化事業が始まり、無残な山に緑を戻す努力が続けられてきた。隊長が20年前に訪れた時には全くのはげ山だったらしいが、治山の甲斐あっていまではすっかり緑の山となり、山の形に昔の面影を残すばかりなのである。もちろんこれは喜ぶべきことだが、写真で見た荒涼たる風景を期待していた我々にとっては至極残念な結果になってしまった。

かつては宇都宮なみに栄えた足尾町の残像

古河の会社とおぼしき建物。昭和初期くらいの建築だろうか。まだ営業はしていた。

足尾銅山跡の様変わりは衝撃的だったが、とりあえず気を取り直して坑道に向かうことにした。現在この辺りは日光市となっているが、自治体合併前は足尾町と呼ばれていた。足尾町は鉱山で働く人々やその家族で賑わい、鉱山が全盛期だった1916年には3万8500人の人が住む、まさに「都」だった。栃木県では県庁所在地の宇都宮に次ぐ町だったというから驚きだ。

だが今は当時の面影は微塵もなく、ラピュタもびっくりの衰退ぶりだ。かつてあった足尾警察署は足尾交番になってしまったというのも、何とももの悲しい。まさに「盛者必衰の理」としかいいようがない。渡良瀬川と平行して走る県道沿いには、当時の様子を残す古い木造建築がいくつか残る。中にはひと際新しいマンションもあり、何とも奇妙なコントラストを生み出している。住民の皆さんには申し訳ないが、何だか海外ドラマ「プリズナーNo.6」の町に迷い込んでしまったような感覚だ。

夏休みだというのに観光客もまばらで、足尾駅前には人っ気がまるでない。一等地(?)にある商店も営業はしているものの店主の姿は見えず、レトロなアイスクリームのショーケースが“ブーンブーン”とうなり声を上げている。日本全国津々浦々、過疎の町を旅してきたが、この町のパラレルワールドっぷりは超A級だ。

約110年前に建てられた銅山の迎賓館「古河掛水倶楽部」。入場料400円。

足尾駅のすぐ近くに和洋折衷の学校のような建物がある。足尾の迎賓館と呼ばれる「古河掛水倶楽部」だ。約110年前に建てられたもので、足尾を訪れた華族や政府の役人などをもてなした場所なんだとか。外観もさることながら室内もなかなかもので、台東区にある岩崎邸のミニ版といった感じだ。向こうは天下の三菱財閥、しかも設計はジョサイア・コンドルときているのだから到底太刀打ちはできないが、それでも栃木の山奥にある施設としては立派すぎる。

暖炉のある食堂やビリヤードホール、応接室など調度品も含めてさすがは迎賓館。食堂ではコーヒーが飲めるようになっているので、当時のVIP気分に浸ってみるのもいいかもしれない。

掛水倶楽部の外には古河の重役役宅や明治に建てられた煉瓦造りの倉庫を観ることができる。特に重役役宅は、明治期の木造住宅がそのままの形で残る非常に貴重な建築なんだかとか。所長、副所長、課長のための住宅で、とくに所長用は床面積が100坪もある豪邸。和室8部屋、洋風応接室1部屋という造りで、応接部分と居住部分が分かれた当時としては最先端の住宅だったらしい。

町に残る古い住宅から察するに、ここだけ光り輝く六本木ヒルズみたいな地域だったに違いない。住んでいた人々も、少々反っくり返っていたんだろう。ちなみに掛水倶楽部はいまも古河機械金属株式会社の福利厚生施設として現役らしく、かつてお偉方をもてなした場所で社員の皆さんが宴会でもやっているのかと思うと、やはり時の移り変わりを感じずにはいられないのである。

アトラクション気分で坑道探検を楽しむ

坑口へと向かうトロッコ列車。途中で先頭の機関車を切り離すなど、見所が用意されている。

江戸から昭和まで、足尾銅山は400年もの長きにわたって掘り続けた銅山である。銅が枯渇しなかったというのも驚きだが、掘った坑道の総延長距離もびっくりだ。なんと1.234km。東京から博多とほぼ同じ距離である。坑道は「通洞抗」「有木(本山)抗」そして「小滝抗」の三大主抗口から入り、中でまさに縦横無尽に伸びている。

通洞抗は1980年に観光施設としてリニューアルして公開された。我々は早速、入抗料金800円を支払ってトロッコ列車に乗車。もちろん、これは観光用に造られた列車だが、途中で牽引機関車を切り離して入抗するなど雰囲気はなかなかのもの。乗車時間は3〜4分なので少々肩すかしを食らった気分にさせられるが、まあそこはあくまでも“なんちゃって”なので我慢しておきたい。

この手の坑道観光は入り口からちょっと入った所で戻るのが定番だが、ここの坑道はかなり長い距離で公開されている。中に入ると外の猛暑が嘘のように涼しく、湿った空気が心地よい。坑道には江戸から近代までの採掘の移り変わりが分かる展示がされている。坑道の至る所に蝋人形が置かれているのだが、これがボタンを押すとしゃべり出すのは少々不気味だった。

蝋人形はかなり“フレンドリー”な雰囲気で働いているのだが、江戸期などはもっと過酷な労働環境だったと思う。「いいのが掘れましたぜ、ダンナ」などとは決して言ってられる状況ではなかったと、労働者サイドの僕は思ってしまうのである。

落盤対策がなされた観光用坑道とは言え、その迫力は本物さながらだ。

坑道は観光用だから「順路」の矢印が付いているのだが、鉱山が現役だった頃は、当然こんなものはなかっただろう。となると、中には迷って出てこれなくなった人間もいるんではないか…と少々怖くなった。そもそも出勤して、昨日まで掘っていた場所にまた戻れたんだろうかと余計なことまで頭に浮かんだ。

坑道も終わりに近づくとちょっとしたシアターが作られており、そこで足尾銅山の概要を説明したビデオが流される。登場するキャラクターの“源さん”にはちょっとイラっとさせられるが、どのように坑道を堀り進め、銅を採掘していったのかということが短時間で分かっておもしろい。全体的には“まあ、おもしろかったです”という感想でエンジョイ指数を汲んでいただきたいのだが、銅山の中がどんな感じかは十分に体験できると思う。

余談ではあるが、出口付近には強制的に一周させられるお土産コーナーがあって、そこで売られているお土産が銅の食器というのはちょっと笑わされた。まあ銅山なので当然と言えば当然だが、足尾銅山の観光記念に銅のビールマグを買っていく人はそうはいないと思う…。

栃木県日光市足尾町本山

足尾銅山は、江戸から昭和まで400年もの長きにわたって掘り続けた銅山である。