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12.06.25

【Vol.1-3】日本再発見ジムニー探検隊 >> 埼玉県行田市

石田三成の猛攻にも耐えた名城を後にした探検隊は、いよいよ行田市街へと入る。
そこは明治・大正・昭和、そして平成がカオスとなった
懐かしくも新しいトワイライトゾーンだった。

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かつては足袋や布の生産で賑わったマニファクチャーの街

街角には足袋蔵などが今もひっそりと建っている。修復されずに朽ちていく蔵も多い。

行田市はもともと忍城の城下町だったから、中心街までは忍城からクルマですぐだ。コインパーキングが極端に少ないので、博物館の駐車場か駅近くのコインパーキングに駐めるしかない。クルマから降りるのを嫌がる不精者でも、中心街はさほど広くないから散歩がてら歩いてみよう。

さて行田市。この街は江戸時代から足袋の製造が盛んな地だった。だが、足袋は季節ものなのでどうしても夏は売れない。ところが明治になると銀行ができ、こうした季節産業でも安定できるように資本を投下した。これにより、行田の足袋作りはますます盛んになり、最盛期の昭和13年には年間約8500万足、全国シェア約8割を占める日本一の足袋の街になった。

年間8500万足とは、ナイキ・エアマックスもびっくりの数だ。いまのように洋装が当たり前の時代ではないから、基幹産業になり得たのであろう。その後、ファッションとともに足袋作りは衰退し、足袋作りから転換した繊維業が現在の地場産業になっているらしい。

現存する足袋工場の中で最も歴史のある大規模工場「イサミスクール」。大正、昭和初期の建物がそのまま残る。

市内に観光ポイントとなっている歴史スポットは15カ所。郷土博物館や駅の観光案内所で地図がもらえるので、それを片手に歩くと回りやすいだろう。行田は週末訪れても、実に静かな街だ。時間がのんびりと流れ、自分が何時代の人間なんだか分からなくなるような不思議な感覚にとらわれる。まるで宮崎駿の映画を観ているようだ。

街の人々は排他的なところなく、実に穏やかだ。明らかによそ者の僕が歩いていても、不審な目を向けることがない。ある町工場を眺めていたら、近所のおじさんが声をかけてきた。「この工場、なかなかいいでしょう?」と。いろいろ親切に情報を教えてくれて、東京では味わえない心地よさに包まれる。

知らないおばさんに「こんにちは」と声をかけられるのも悪くない。僕は地方都市が大好きで、特に北関東の小さな町を訪れることが多いが、大抵の場所であたたかく挨拶される。ものの本で読んだが、日本で挨拶を交わすのはお互いに怪しいものではないという確認の意味もあるらしいが、知らない人と挨拶をするのは大都市ではなかなかない楽しさだ。

行田に路地が多く、そういう所にこそ雰囲気のいい場所が残っている。

多くの地方都市がそうであるように、この行田も空洞化が進んでいるように見える。商店街はあるものの、シャッター商店街で人の気配はまばらだ。かつてはここを荷車やトラックが往来し、女工さんたちが笑いながら歩いていたんだと思うと、何とももの悲しくなってくる。

それでも太陽が傾き始めると、街には高校生や買い物の主婦が現れ始め、行田にわずかながら活気が戻った。ちなみに鉄道好きにオススメのスポットがある。行田駅のひとつ隣にある東行田駅だ。秩父鉄道の典型的な単線駅で、昭和生まれなら何とも懐かしい気分になる。

しかも秩父鉄道は各私鉄会社や国鉄の引退車両を未だ使っているので、何だか平成とは思えない。週末にはSLも走るので、乗り鉄&撮り鉄にはサンクチュアリーと言えるかもしれない。

また行田から東行田に向かう道上には、地元の酒蔵「横田酒造」などの古い建物を見ることもできて、なかなか楽しい。できればここもジムニーを降りて、ぶらっと散歩することをおすすめしたい。

秩父鉄道も行田のレトロな雰囲気を作っている重要なファクターだったりする。

というわけで、今回は埼玉県行田市を探検してみた。歴史好きなら非常におもしろい街だが、歴史が好きでなくても是非訪れてほしいと思う。かつては日本の国力を下支えしてきたのに、時代の流れとともに誰も見向きもしなくなった町。そういった町は日本中にあると思う。

だが平成の世の中になっても、そうした町があったからこそこの日本があるわけで、こういった地方都市を忘れてきたから今の日本は没落しているのではないかと思うのだ。この町は日本人の町で、すべての日本人の財産なのだから。

と整ったところで、次回もジムニーで日本を再発見します。お楽しみに!
<文+写真:山崎友貴>

>>>行田市観光協会

あぜ道を走っていても古墳に出会う。神と歴史の美しい町・行田。

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行田駅周辺

埼玉県行田市
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