JIMNY LIFE ジムニーをとことん楽しむ僕らのライフスタイルマガジン JIMNY LIFE ジムニーをとことん楽しむ僕らのライフスタイルマガジン

CATEGORY MENU

日本再発見ジムニー探検隊
VOL.033
ちょっと"鉄"なスポットツアー
ちょっと"鉄"なスポットツアー

それほど詳しくわけではなくても"意外と鉄道好きよ"というジムニーオーナーは少ないはず。
かくいう僕や河野隊長も意外と鉄道好き。
そんな鉄道好きのジムニーオーナー"ジム鉄"のハートを掴むスポットを探検。
がっつり系やユルユル系まで、鉄道でお腹がいっぱいになる場所をご紹介しよう!

画像をクリックすると拡大&情報が見られます(スマホ、タブレット一部機種を除く)。

すごすぎる鉄道模型専門のミュージアム

原鉄道模型ミュージアムのメイン展示と言える大ジオラマ。

ある日の昼下がり。河野隊長との雑談の中で、ふと「原鉄道模型博物館」の話題になった。今の若い方々には理解できないかもしれないが、昭和30年、40年代初頭生まれにとって鉄道模型は、まさに“趣味の王様”だった。モデルガンなどは結構買えても、鉄道模型は非常に高額
。機関車一両は買えても、その後ろの客車がなかなか買えないなんてことも。「機関車だけ走らせても楽しくないっ!」なんて、悲しい子供時代を過ごした人も少なくないはず。

それだけに、鉄道模型という言葉に特別な響きを感じてしまうのである。しかもその特別な鉄道模型だけで個人コレクションの博物館を作ってしまったというのだから、それは興味半分、やっかみ半分で観に行きたくなる。

残念ながら河野隊長は多忙のため、今回も僕ひとりでの探検となったが、嬉々としてジムニーを横浜に走らせた。日産グローバル本社横にある横浜三井ビルディング2Fに原鉄道模型博物館はある。このビルには駐車場があるので、ジムニーでの直接アクセスが可能だ。

さて想像していたよりもシンプルな入口を入ると、いきなり大きなサイズの鉄道模型が展示されている。この博物館に展示されている模型は、「1番」と呼ばれる軌道間45㎜のスケール。HOゲージと比べてもかなり大きい。

入ってすぐに館長の原信太郎氏が小学校6年生で自作したという電気機関車が展示されていたが、これを見て腰を抜かした。昭和初期に小学校6年生が自分でデザインしたオリジナルの機関車いうのが、非常に美しく高精度なデキだったからだ。同じ小学校高学年で工作用紙で自作した僕のHOゲージを思い出して、ひとり赤面した。

博物館に展示されている鉄道模型はどれも緻密で美しい。

展示されている値段が付かないほど希少な模型もあるとかで、この博物館の総価値はいくらなんだろう…などと考えながら鑑賞する。ちなみに原信太郎氏という人は、コクヨで技術開発をしていた人らしいが、そのそも電車の開発者になりたくてエンジニアリングを勉強したようだ。こんな電車が好きなら、ぜひこの人の造った電車を見てみたかった気がする。

さて、この博物館のメーンイベントは何と観覧席が設けてる巨大な1番ゲージ用のジオラマ。僕が住んでいる部屋×10個はあろうかという広さだ。このジオラマは6分間隔で朝、昼、夜の時間帯が変わるようにできていて、様々なシーンの模型走行が楽しめる。

ここの鉄道模型はほとんどが金属製ということで、線路のつなぎ目やポイント、鉄橋を走る時の音がまるで本物の電車のよう。音を聞くだけで、ちょっと鉄ゴコロが刺激される。来場者の中にはオペラグラスを持って走行シーンを観ている人がおり、改めて鉄道模型の奥深さを知った。

隣にはちょっと小さめの横浜市街のジオラマも設置されており、こちらも一定の時間で1日が変わっていくようになっている。録音されたリアルな効果音もあり、なかなか見応えのあるジオラマだった。

1Fのミュージアムショップを気づかずに素通りしてしまったのは残念だったが、まあ「眼福でした」というコレクションだった。

懐かしさいっぱいのチンチン電車天国

横浜市内を走っていた様々な年代の市電を展示している。

いまや「チンチン電車」という言葉は死語になりつつある。日本全国で残存している路面電車でも、チンチンという鐘を鳴らすものはほとんど無くなってしまった。なぜならあの鐘は運転士と車掌の合図であって、ワンマン化している現在の路面電車では無用だからだ。

昔は関東でも横浜や川崎で市電が走っていたのだが、いま残っているのは東京の都電荒川線だけだ。一般道を走る路面電車は、普通の電車と違ってフレンドリーな雰囲気を持っている。線路の上を走るバスのようなものだが、バスと違って無粋な排ガスは出さないし、何よりも一般道で邪魔者扱いされながらも我が道を行くあの姿勢が素晴らしい。

横浜市内には1904年から1972年まで路面電車が走っていた。他の地域同様、道路事情の悪化とバスとの合理化によっては廃止されたわけだ。横浜市電には4つ場所に車庫が存在したが、そのひとつである滝頭車庫が現在「横浜市電保存館」になっている。

ここも無料の駐車場があって、ジムニーで行きやすい。入館料は100円とリーズナブル。まあ、この金額ならハズしてもいいだろうと中に入ったが、なんと実物の市電が7両も展示されているではないか。年甲斐もなく、ちょっとスキップ気味で電車に近寄る。

子供の頃走っていた車両に入ると懐かしさいっぱい。

70年代に廃止された市電なのだから、そもそもそれほど新しいはずはないのだが、展示されている車両の多くが戦前に製造されたものというのは驚く。戦後に造られた車両は各部に合理化が見られるが、戦前のものは細部の造形も凝っており、全体に気品のようなものが感じられる。

とは言え、僕がやはり懐かしかったのは60年代製の車両。僕が幼かった頃は、横浜や川崎はもちろんのこと、都電もかなりの路線が残っていたことをおぼろげながら覚えている。路面電車は駅とは言わず「停留所」と呼ぶが、石を組んでできていたのが当時の停留所。この保存館でも、それぞれの電車が石の停留所に駐められているのがいい。

館内には電車の展示の他、市電の貴重な映像なども流れていて、非常に懐かしい気分に浸れた。一部、鉄道模型コーナーなどが廃れていて「箱物行政」の難しさをひしと感じたが、入館料が100円であることを考えれば十分に楽しめる。原鉄道模型博物館とセットで訪れてみてはいかがだろうか。

“玉電”の運転席に座れる個人博物館

オーナー秘蔵の玉電の運転席。こういうのを家に置くのが夢。

皆さんは「玉電」という路線を聞いたことがあるだろうか。玉電は正式名称を「玉川電気鉄道」と言い、明治40年に渋谷-玉川間で開業した。当初は二子玉川の近くを流れる多摩川の砂利を都心に運ぶための貨物路線だったらしい。後に現在の東急に吸収され、東急玉川線となった。

現在では「ルーキーズ」の舞台くらいのイメージだが、昔はあの辺りは景勝地だったという。玉川電鉄も「玉川第二遊園(のちの二子玉川園)」を経営しており、路線はさらに二子玉川園まで伸びた。

しかし国道246号線上に高速道路の高架を造るのと、地下鉄工事をするという理由から、昭和44年に廃線した。現在、下高井戸と三軒茶屋を走る東急世田谷線は、玉電の支線のひとつであった。

横浜から東京に戻った頃、ちょうどお腹もすき始めた頃だったので、ちょっとマニアックな蕎麦屋で昼食にすることにした。その蕎麦屋には、店内に玉電の運転席があるというのである。賑わっている二子玉川駅から少し住宅街に入った所に、それはあった。マンションの1階だが、この建物の裏手を玉電が走っていたらしい。

さて入口に着いたところ、「大勝庵・玉電と郷土の歴史館」と書かれている。外観は蕎麦屋のようだが、どうも営業している様子がない。とりあえず入口を入ると、中にはマニアックワールドが広がっていた。

出迎えてくれた大塚勝利館長に話を聞くと、やはりここで蕎麦屋を営んでいたらしいが、数年前に身体を壊して廃業。以降、好きな古い物を展示する私設博物館を開き、日々楽しく過ごしているらしい。非常にお腹がすいていたため、その話を聞いて倒れそうになったが、せっかく来たのだから、コレクションを見せていただくことにした。

いろいろなもののマニアである大塚館長。人好きのする人柄だ。

見学させてくださいというと、おもむろに東急電鉄の制帽を被りだした。大塚館長、かなりのエンターテイナーのようだ。

大塚館長は昔から捨ててある物がもったいなくて拾ってきてしまうらしく、レコードやカメラなどいろいろな物を集めてきたらしい。「とにかく捨てられないんですね」ということで、玉電が廃線になることを聞きつけ、運転席をもらってきてしまったらしい。昨今なら高額で落札されるようなものだが、タダでもらってきたというのがすごい。

いつの時代の車両なのか分からないが、マスコンやメーターなどから機械好きのハートを刺激するオーラが出ている。こういうのを自分の部屋に置くのは、男の夢だ。

蕎麦屋時代には東急電鉄の常連客も多かったらしく、つり革やら電車のパーツやらを持ってきてくれたという。つり革のコレクションだけでも、時代を感じることができておもしろい。制帽や制服までも常連客がくれたとちょっと自慢げ。

そもそも電車が好きなのかと聞いてみたら、「いや、全然。ただ、捨てられる物ならとっておきたかったから」とマニアが聞いたら複雑な気分になろうお答え。どうもこの人は、大きさに関わらず捨てられているものを放っておけない質らしい。さぞ、理解のある奥さんなんだろう。

大塚さんのコレクションは石やポケットティッシュ、空き瓶など多岐にわたっており、そのマニアぶりが認められてか、みうらじゅんやなぎら健壱など名だたるB級コレクターと知り合いらしい。「これから巨人戦観に行くから」と言うので、とりあえず辞することにした。

玉電のコレクションもさることながら、大塚館長自身が一番おもしろい博物館だった。

その2に続く