私事だが僕は法政大学の出身で、通っている時はまだ三里塚闘争の火がくすぶっていた。ドカヘルに手ぬぐい、角材という出で立ちの学生運動家が校内で暴れ回り、試験の頃になるとよくロックアウトされたものだった。三里塚闘争というのは成田空港建設に伴う住民闘争のことで、成田空港が運用された後も長く続いている。
当時と比べると中核派や革マル派といった活動家たちは大学には少なくなっているようだが、実は現在も成田空港第三滑走路建設を巡って住民闘争はあるようだ。
かつて成田空港があった場所には、宮内庁下総御料牧場が存在した。もう少し時代を遡ってみよう。下総、つまり現在の佐倉や成田周辺には、江戸幕府によって「佐倉牧」が設けられていた。佐倉牧は7つの牧に分かれており、そこには軍馬や農耕馬が放牧されていたという。
明治に入ると国内で羊毛の生産を高める必要が出てきた。洋装化の影響であるが、一番の目的は軍装のボアやセーターなどを作るためだったようである。そして牧羊するには三里塚あたりが適しているという外国人指導者の助言があり、ここに下総牧羊場が造られた。だが大正になると牧場は縮小され、昭和に入るとサラブレッドの繁殖が盛んになったという。
三里塚で馬の生産が盛んだったことは、尾瀬あきらの漫画「ぼくの村の話」に詳しい。
昭和41年になると、用地買収の必要がないことから下総御料牧場に新東京国際空港が建設することが決定し、御料牧場は栃木県高根沢町に移転することになる。これに伴い、多くのサラブレッド農家が北海道・日高に移転したが、現在でも数軒の牧場が残っているようだ。
これはトリビアだが、ジンギスカンは北海道発祥と思われがちだが、実はこの下総御料牧場で考案されたものなんだという。だとしたら、もっと成田はジンギスカンを観光資源として売ってもいいような気がする。
かつて御料牧場だった場所のほんの一角が三里塚記念公園として残っており、事務所だった建物には牧畜で使った農具や様々歴史的資料が展示されている。