"ライター緒方昌子のラリーモンゴリア2013参戦記・最終回"
Profile------------
カーライフジャーナリスト 緒方昌子
自動車雑誌、単行本編集者を経て、フリーランスライター&編集者、そしてカーライフジャーナリストとして活躍中。
ラリー・モンゴリアの贈り物
出場を決意してから完走するまで、あれよあれよという間に時間が過ぎた「ラリー・モンゴリア2013」。準備から始まった長いラリーも、本番の8日間、総走行距離3579.63㎞は、今振り返るとあっという間だった。ナビゲーターとしての責任と編集者上がりのライターという根っからの取材癖が同居した自分にとって、どこか中途半端さが納得できず、でも毎日が新鮮で、次々に意識が変化していったと思う。
我がドライバーの橋本さんは、車内にビデオを装着して車窓の風景を録画し、帰国後それを見ながらステージのコース状況を確認する人だ。ドライバーだが、細かく記録をとる。多分、ナビゲーターとしての質の悪さのまま、各地で撮影したり人の話を聞いたりする私の取材癖も含めて、容認してくれていたのは、どこか似ているところがあるのかもしれない(橋本さんの懐が広いからに他ならないかな)。
ところで、ラリーの後半、言葉(語句)の統一を図って以来、自分自身もナビゲーターとして欲が出た。もちろん、取材したい気持ちだって無くなったわけではなかったが、コマ図を正確に読む、距離を正確に把握する、いざというときには自分のいる場所のGPSポイントが確認できる、といったことが、少しマシになってくると、次を目指したくなった。恐れ多くも、尾上組、菅原組に近づきたい、上手くいったら抜かしたい、そんなことがちらちらと頭をよぎった。後半のステージで、一時菅原組を抜かしたときや、一瞬でもSSで尾上組に勝ったときなど、このわずかな喜びは、翼を授けてくれるようなエナジードリンクよりも大きなパワーをもたらしたし、最後まであきらめない気力を育んでくれたように思う。
ラリー完走後、もともと粘っこいしつこい取材者根性も、増幅したような気がする。やれ中年だ、おばさんだ、更年期だと、いろいろな年齢的な局面を迎えて、何をするにもやる気がイマイチだったのが、その気になったのだから、ラリー効果はスゴイ!
何かを探している人におすすめしたいラリー・モンゴリア
もしも、オフロード好きでいろいろな国内レースにも出場しているが、何か鬱積したものがあるとか、思い切り自己を発散させたいのにしっくりこないとか、そういう人には、男女問わず、ラリー・モンゴリア出場をおすすめしたい。コラムの2回目にもおすすめしたいと書いたが、本当にモンゴルは素晴らしかった。ラリー中は、たしかにシンドイ(自分を追い込むことが好きな編集者とかにはぴったりだ)。肉体的にも、精神的にも疲れてくると、その人の本性が見えてくる。四輪で出場するとなると、ドライバーとナビゲーターの相性そのものがラリーを成功させるかどうかということにも関わってくる。だから、夫婦とか婚約者と出場すると、別れることが往々にあると言われる。それほど、ドライバーとナビゲーターはデリケートな関係なのだ。我ら橋本組は、尾上さんや菅原さんの心配をよそに、上手くタッグを組んで完走できて本当によかった。
オフロード走行経験が浅い人には、まず国内での練習が必要だろう。国内での耐久レースでの経験を積んでいると、それは役に立つと思われる。マシンを壊さずに最後まで走り切ることが大切な耐久レース。それが8日間続く、マラソンのようなものだ。また、行きたいけど費用が高いと躊躇する声をよく耳にするが、行くぞと公言してしまおう。自分自身もそうだったが、公言すると応援してくれる人だって現れるかもしれない。エントリーフィーだけでなく、渡航費、保険料、破傷風の予防接種費用、国際免許費用、マシンの製作費用だってかかる。マシンについては、堀井号(アピオジムニーコンプリートカーTS4)のように普段街乗りで使っているAPIOのコンプリートカーにロールバーを入れての出場もありだ。そう考えると、コンプリートカーの料金にプラス、ロールバー、ツイントリップなどの追加費用などで賄えそうだ。堀井号が完走を果たしたことで、APIOコンプリートカーの質も耐久性も証明されたと思う。それでもコツコツと数年かけて貯金することも必要だろう。たとえ時間がかかったとしても、目標に向かうことからラリーは始まる。困難こそ、受けて立つのが、ラリーの醍醐味だ。
そして何より、ラリーでしか行けないモンゴルの奥地と大自然の魅力は大きい。準備や苦労もなんのそのと、嫌なことはすっ飛ばしてくれる。草原、なだらかな丘、3000m級の山々、砂丘、枯れ川のガレ場、雨で変化する川、大地の亀裂、道標でもある石を積んだオボウなど、行かなきゃ見られない風景がある。太陽と雲が神秘的な空を見せ、夜は星がまたたき、空気の匂いにも敏感になる。放牧されている羊、山羊、駱駝、蒙古馬たちの群れに出会い、鷲が大空を舞い、地リスやネズミなどの小動物が草原のピストを行き交う。大地には、人のほかにもたくさんの生きものがいる。天候によって地形が変化し、人がそれに合わせる、そんな自然の摂理を身近に感じると、そこには神様がいると思えてしまうから不思議だ。
ラリー中、時折なだらかな丘や小川近くの草原に遊牧民のゲルに遭遇した。彼らは蒙古馬やバイクに乗って、牧羊犬と羊を追う。ミスコースして彼らのゲル近くへ迷い込むと、侵入者に驚きながらも、あっちがコースだよと指し示してくれる人が多かった。モンゴルの遊牧民はたくましく、温かい人が多い。日本で少しすれてしまっている自分が恥ずかしくなるほど、親切だったりする。丸のままの自分に出会うのも、ラリーの魅力の一つだと思う。
尾上さん製作のアピオマシン
私を乗せてくれた橋本号は、ジムニーJB23の1型ベースに、尾上さんが製作した本格的なラリーマシン。ハードな走りを考えたサスペンション、マフラー、LSD、あらゆるガード類などはもちろん、室内もサイドまで入れたロールバー、専用の安全タンク、コンプレッサー、ドライバーとナビゲーターの快適さも考慮したバケットシート、ナビゲーター用のマップホルダーとステップ、ツイントリップ、軽量化を図ったFRP製ボンネットと左右ドア、500mlペットボトルが3本ずつ入る左右のドアポケットなど、充実した作りになっている。かつては尾上号として、モンゴルやロシアでも活躍してきた。数年前には、ラリー・モンゴリア出場者がレンタルするマシンとして使われ、桐島ローランドさんも乗ったことがある。それを我がドライバーの橋本さんも、3年前にレンタルして出場したが、その年はリタイヤし、2年前に自分のマシンとして買い取って出場し初完走を遂げた。そして2013年大会、私をナビゲーターに採用してくれ2度目の完走。やはり、自分のマシンとして、思い切りよく走れたことも、完走の要因かもしれない。
橋本号は、今年の尾上号がJB23の9型ベースであるの対し、1型である。同じ排気量であっても、エンジン性能は全く別物だ。同じチームAPIOの堀井号も、菅原号もJB23だが、型式は新しい。それだけに、順位を上げるにはそれなりの無茶も必要だったと思う。橋本号は今年10年選手で、毎年さまざまなラリーで活躍してきたこともあり、あっちこっちにガタはきていた。そのため、橋本さんは、ウランバートルでもフレームとボディを溶接していたし、ラリー中のキャンプでも毎晩のように溶接を繰り返していた。今では笑い話だが、すごいギャップをガンガン越えたり、大きくジャンプして着地の衝撃がきついときなど、フレームとボディがバラバラになってしまうんじゃないか、アニメみたいにハンドルを握ったまま、ロールケージだけになったらどうしようなんて、2人ではらはらしながら走ったのは本当の話。ラリー中の2人の合言葉は、「マシンを最後までもたせて走ろう!」だった。
完走したとき、橋本ドライバーに「ありがとう!」と、言ったが、私たちを最後まで運んでくれた橋本号にもお礼を言った。満身創痍とは、こんな状態のことだと、最後のゴール後のパレードラン前にマシンをキレイに拭いていて思った。なんて愛おしいか。ダカールラリーの2005年大会のとき、エスクードで出場していたチームAPIOの尾上茂/故松田瑛二組が、アフリカの砂漠で遭難し最後にマシンを燃やしてきた。共にダカールラリーを戦ってきたマシンが炎に包まれて行ったのを眺めながら、「涙がこぼれたんだよ」と、言っていたことを思い出した。私たちの橋本号は、燃やすこともなく、最後まで走り切って、パレードランも終え、船積み用の保管庫のある場所までたどり着いたとき、リアサスペンションのステーがねじ切れた。もう、最後の最後のことだった。よく頑張ってくれたなあと、橋本さんと私は感慨深くマシンをなでた。
あれから数カ月を経て、11月にようやくマシンがモンゴルから日本に到着。残念ながら、私は迎えに行けなかったが、橋本さんが四国・松山からアピオに輸送したマシンと船積みして送ったダッフルバッグを取りに行ってくれた。ボロボロになったマシンを、尾上さんに点検してもらうと、フレームとボディの接合部分が完全につぶれてしまっていて、ボディにも亀裂が入っていたのによく最後まで走れたもんだという話だった。橋本さんがほかの型式の新しいJB23に対抗するためには、かなりガンガンに攻めていかなければならなかったため、老朽化したマシンには、かなりのシワ寄せがきていたようだ。当初、尾上さん(APIO)に依頼して、マシンを修理することを考えていた橋本さんだが、マシンの実情を考えると、残念ながら修理は厳しいと判断したそうだ。ありがとうね橋本号。
先日、橋本さんが荷物を家まで運んで来てくれたとき、マシンを新しくすると報告があった。実は、完走してすぐに、また来年もラリーに出場しようと、約束していた。ナビゲーターとしての質を向上させて、もう少し上位狙いで頑張ろうと話していた。そのためには、費用はかかるがマシンを新しいものにするということだった。もちろん、APIOの尾上さんに製作してもらう予定だそう。新型のJB23なら、無茶な走りをしなくても、いいところ(順位)を狙えそう。尾上さんは冗談で、負けそうになったらボタン一つで壊れる仕掛けをしようと笑っていたが、きっとチームAPIOの中でも、特別なマシンになるに違いない。来年のラリー・モンゴリアまであと8か月。今年のラリーでお世話になった方々への感謝と自身の反省しつつ、来年に向けて動き出した。「尾上さん、どうぞよろしくお願いします! 来年のラリー・モンゴリアにも、おじさん&おばさんコンビが、おニューな橋本号で登場します。どうか、みなさん応援してください!」。
RALLY MONGOLIA 2014 へつづく...