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13.11.18

わくわくとドキドキだらけのラリー・モンゴリア 〜ライター緒方昌子のラリーモンゴリア参戦記.その2

8月11~18日の8日間、モンゴルで開催されたラリー・モンゴリア2013。国際ラリーらしく、日本、韓国、モンゴル、スウェーデン各国から出場者が集まり、二輪40台、四輪21台(ジムニー5台)の合計61台が出場。総走行距離3579・63㎞。二輪23台、四輪13台の36台が完走を果たした。


Profile------------
カーライフジャーナリスト 緒方昌子
自動車雑誌、単行本編集者を経て、フリーランスライター&編集者、そしてカーライフジャーナリストとして活躍中。

ウランバートルから南へスタート

ETAP-1 スタート

8月11日午前8時、ウランバートルのスンジングランドホテルに設営されたスタートゲートを、二輪、四輪の順に、1台ずつ1分間隔でスタートした。初日は、ウランバートルからバヤンゴビに向かうルートで、南へと進んでいく。
マシンがスタートの列に並ぶと、緊張感からか何かいつもとは違う身体のこわばりを感じながら、チームアピオのJB23・4台とマットサービスファクトリーのJB43・1台、5台のジムニーを撮影して回った。チームアピオそれぞれのゼッケンは、先陣を切ってスタートする菅原義正/高橋貢組が#100、尾上茂/石原孝仁組が#101、そして私たち、橋本武志/緒方昌子組が#105、単独で挑戦する堀井義春選手が#106。マットサービスファクトリーの蔦田賢士/蔦田歩惟親子組が#107。
ゼッケン順にスタートしていくので、菅原組、尾上組、先行車2台のスタート風景を撮影し、自分のマシンにあわてて戻り、シートベルトを締めヘルメットをかぶると、自分たちのスタートカウントが始まった。GPS、OK、コマ図を片手に笑顔でスタート。と、トリップメーターがONされていないことに気付き、慌ててスイッチを入れた。あちゃ~、やっぱりどこか抜けている私。選手とプレスを同時にやるには、要領が悪い。選手をやりながら取材をこなしてきた諸先輩方は、やはりスゴイ人たちなのだ。

スタート前の橋本/緒方組

我がドライバーの橋本さんは「大丈夫。大丈夫」と、笑顔でスタート。交通量の多いウランバートル市内から南へ向かって走る。信号もあるので、途中までは先行車の姿を追いかけることができた。次第に郊外へ向かって行くと、見えていた#104のカミオン、菅原照仁/杉浦博之組の姿も見えなくなった。
そして、舗装路からオフロードへ変わる頃、いくつものなだらかな青い丘に山羊、羊、そして蒙古馬の群れが表れた。コマ図を追いかけながら進む道の前に、幻想的な雲が浮かぶ空が広がっていた。「大地の神様に挨拶をしてくださいね」と、若林葉子さんがエールを送ってくれたことが頭をよぎり、「神様、どうぞよろしくお願いします」と、胸の中でつぶやくと、「橋本さん! 連れてきてくれてありがとう」と、インカムがつながっているのに橋本さんの方を向いて大声で叫んでいた。次の分岐まで数キロ道なりになると、しばらく2人して風景写真を撮りまくっていたのは、言うまでもない。

大自然の素晴らしさに感動しつつラリーの洗礼を受けた

素晴らしい風景の中、草原へと進んで行くと、見渡す限り白い小さな花が咲いていた。これがエーデルワイスで、高校生の頃の恩師が歌ってくれたのをふと思い出した。ラリーは、その日その日のルートをたどり、ゴールするタイムを競い合うものだが、景色や花々に目をやると、とても素晴らしい自然を味わえる。バトルを繰り広げている「勝たねばならない」菅原組、尾上組とは違い、橋本さんは、「これもラリーなんだよ」と、モンゴルのさまざまな素晴らしさも教えてくれながら走った。初めて出場して現場を見る私には、とてもありがたい相棒だ。
走り出すと、雨が降ってきた。給油ポイントのガソリンスタンドに到着する頃は、すごい土砂降り。雨粒が大きくて、ボタボタボタっと落ちてくる。先行車たちが雨の中で給油していたところに合流。緊張感をほぐしてくれるかのように、チームアピオの仲間が笑顔が見えた。雨には往生したが、走れることに感謝して、何もかも嬉しくて仕方ない。給油に並ぶ二輪、四輪が混ざって、知った顔、初めての顔がある。給油ノズルが1本だけなのか、順番を待つのに時間がかかる。それもまた、楽しいのだった。

ETAP-1でのパンク

そういえば、今回のラリーで思い出深いのが、草原の濃くはっきりしたピストと呼ばれる轍を追いかけた初日。先行する二輪を追い抜こうと、二輪の妨げにならないようにピストを外れた途端、ドカンと草の固まったブッシュに当たってマシンが飛んだ。私の左肘がドアにぶつかって、ヘルメットの重さになれない首と背骨がメキッと斜めにしなり、一瞬、これで終わったのかと思ったほどの衝撃を受けた。ところが、そのまま上手いこと着地させた橋本ドライバー。マシンを停めて点検したら、左後輪のタイヤがビート落ちしていた。後発だった堀井号、蔦田組が気にかけながら抜かして行ったのを見ながら、「初めての共同作業だね」、「これもラリーなんだね」、「最後までマシンを持たせて走ろうね」と、2人で笑いながらタイヤ交換をした。忘れられないアクシデントだが、このことがあったからこそ、マシンの性能と橋本さんのドライビングテクニックを信じて、この後の7日間を乗り切れたと思っている。
雨に濡れた草原の中のレストコントロールポイント(以後RCP)に、ヘリコプターが降りていた。そこに、到着したマシンが並ぶ。こんな景色、普通の生活では見ることはできない。始まったばかりのラリーに、夢が膨らんでいった。

夜中のゴールと橋本ドライバーの整備

ETAP-2 川渡りをキャンセルして迂回することに

2日目も忘れられない日だ。朝の砂丘ステージでミスコースして、かなりの時間をロスした。砂丘は初めて走るという橋本ドライバーの言葉に、砂を掘るのかなと思っていたが、スタックなしで、大きな山を乗り越えた。ところがその先で、四方八方にスタックして立ち往生している二輪や四輪がいて、オンコースのピストが見つからない。堀井号と一緒にあちこちのピストを探し、しまいには韓国人ライダーの脱出を手伝ったりした。
この日、後半では川渡りが用意されていたが、2台が揃って岸辺に到着した頃は、もう日が暮れかかっていた。スタッフの数も少なく、向こう川の岸辺には、FJクルーザーが水没していた。菅原組、尾上組の川渡りの様子を聞き、CP2も通過できていたので迂回することになったが、これがまた大変。一旦RCPまで戻り、モンゴル人スタッフにキャンプ地のGPSポイントを教えてもらい、橋のある道へ行くために、国道を100㎞以上回って行くように指示された。それこそ、地図どころかコマ図もない。頼りになるのはGPSポイントだけ。しかも、真っ暗になると、天候も荒れ、稲妻が光っていた。稲妻に照らし出される道は、これが国道なのかと思う悪路で、2台のライトが揺れる路面を追いながら、懸命に街を目指した。やっと舗装路に出て、夜中もやっているスタンドで給油し、キャンプに到着したのは午前1時をとうに過ぎていた。

こりゃだめだ!

出場者の帰りを待っていてくれるスタッフたちに迎えられ、食事テントで温かな食事をいただく。疲れから、あまり食欲がないものの、明日のことを考え、食事するのも日課。寝る前にちゃんと食べておくように、橋本さんにも言われた。ラリーダイエットを期待していたが、食べてすぐ寝てしまう毎日では、痩せるわけがない。マシンのトラブルも初日のタイヤ交換以外になかったので、ナビは身体を酷使することもなかった。考えてみると、長年ラリーで走り込んできたマシンが壊れなかったのは、毎晩整備してくれていた橋本さんのおかげだ。彼は、どんなに遅くなっても、マシン整備を一日も欠かさなかった。一緒にご飯を食べて、その後整備してから寝る。そしてまた翌日、運転する。日に日に、頬がこけていった彼には、頭が下がる。
キャンプ地では、チームアピオのゲルにまとまって寝泊まりした。初日は、ゴール時間がそれほど遅くなかったが、2日目以降コースが難しくなってくると、タイムに大きく差が出始めた。菅原組、尾上組が休んでいる夜中に戻るようになった。そっと寝袋を広げても、気付いた石原さんや尾上さんが、「お帰り」と、そっと声をかけてくれた。申し訳ない半面、疲れた身体と心には嬉しかった。

お互いの苛立ちを埋めるためのドライバーとナビの語句統一会議

ETAP-3 菅原峠

3日目ETAP-3には、リバーススタートで、遅い順からスタートを切った。標高3000mを超える菅原峠へと向かうルートだったが、菅原峠では尾上号、菅原号に追いつかれてしまった。そのおかげで一緒に記念撮影をさせてもらい、峠を降りて行く急こう配のルートも後をついて降りて行くことができた。この日、残念ながら蔦田組が2回目の転倒でリタイヤとなったと、耳にして心配していたが、キャンプに戻ると、ケガもなく元気だと笑顔で迎えてくれたのでホッとした。
ところで、ラリーのスタートから3日も経つと、ドライバーとナビが険悪になって喧嘩別れすることもあると、いろいろな方々が心配してくれていたようだ。ミスコースでルートを戻ったり、大幅に時間をロスしたり、疲労が重なってくると、思いやる言葉が出なくなってしまうと、注意されていた。たとえドライバーに怒鳴られても、逆らわずにただただドライバーの意のままにとか、いろいろな話を耳にしてきた。でも、橋本ドライバーは怒鳴ったりしなかった。明らかにミスコースに気付いて、戻ってもらったこともあったが、彼は走るのが速い。3~5㎞などは、数分のロス。それならばと、「ごめんなさい!」と、戻ってもらって大正解だったこともある。
私たち橋本組は、ケンカこそなかったものの。橋本さんがガンガン飛ばして走るスキルに、ナビゲーションがついていかないことが多々あった。コマ図を読み伝える言葉が、上手く伝わらない。次第に慣れてくると、遠慮が無くなることもあり、冗談混じりでも相手のせいにしてしまうこともある。

ETAP-3 菅原峠で記念写真

ナビがどうも上手く伝わらないのは、お互いの言葉がかみ合っていないからではないかと思った。そのせいで、お互いが釈然とせず、苛立ちを覚えていたと思う。15年前にナビを習ってから、長いブランクもあるし、組んでいるドライバーが違う。ドライバーが違えば、言葉も表現も微妙に違う。普段、編集の仕事もしている私は、媒体によって原稿の言い回しや表記など、それぞれに合わせることが当たり前だ。そこで、編集会議ならぬ私たち二人のナビゲーションの語句統一を図る打ち合わせをやろうと思った。
橋本さんは、夜、マシンの整備に当たっているため、朝食とブリーフィングの合間に、2人が理解できる表現をしようと提案、一緒にコマ図を見てもらい、コーションのカウントの仕方も、目印も、道標の棒やオボウ、Y字、逆ト字など、複雑に入り組んでいるピストの案内は、どう説明しようかと、相談した。また、コマ図の細かい読み方について、ダカールラリーのナビゲーターもしている杉浦選手がアドバイスをくれた。それが功を奏して、その日以来、コマ図と区間距離がピタリと合う度に、もう楽しくて仕方ない。たとえミスコースしても、互いの息が合ってきたので、オンコースに戻る時間も短縮されていったと思う。

時には菅原組、尾上組を追い越し、さまざまなドラマが交錯するラリー

ETAP-5でガス欠のため抜いた菅原号とすれ違い

ラリー後半戦に入った5日目のETAP-5では、CP1直前のナビゲーションの間違えやすい場所で、橋本ドライバーと協力し合って目印を探し、CP1へ到着。ジムニーは尾上組しか通過していないことを聞き、私たちは俄然頑張った。ところが、村を抜けたとき、先行していたバギーが1台戻ってきた。不審に思いながらも、先を急いだ。「RCPまで何キロある?」と、急に橋本ドライバーが聞く。「あと127㎞」と答えると、「さっきの村まで何キロ?」、「えーと33㎞かな」。すると「ごめんね」と、橋本さん。んんん?と思ったら、安全タンクのガソリンが無くなってしまったということだった。前日の晩、コックを閉めたはずだったが、閉め忘れたのかコックが開いていたため、ガソリンが車外へ滴下してしまったらしい。そこで、村へ戻って給油することになった。戻る途中、ガンガン飛ばしてきた菅原組とすれ違った。「これもラリーなんだよね」と、悔し紛れに菅原組の写真を撮った。そして、さっきのバギーもまたすれ違い、お互いに笑って通り過ぎて行った。

6日目のETAP-6は、SSが560km、リエゾンが149.44㎞、トータル709.44kmという、8日間の中でも一番のロングステージ。この日、RCPへ到着すると、なんと尾上組がまだいた。RCPでは1時間のレストコントロールが義務付けられているので、先行車と一緒になる可能性もあるのだ。この頃には、人目を気にしながらも草陰でトイレを済ませることに抵抗がなくってくる。広く見渡せる砂と硬い草の塊が点々とした場所では、橋本さんがマシンで陰を作ってくれたので、ありがたかった。
この6日目には、思いがけずCP2直前の草原で再び尾上組を捉えた。赤い尾上組だとわかった途端、橋本ドライバーと2人で「行けー!」と、アクセル全開で追いかけた。だが、どうも尾上組の様子がおかしい。迫って行って抜かす時にも、ぼぉっとした様子。CP2に先にゴールした私たちは歓喜した。後から到着した尾上組は、当然ながら元気がない。後から聞けば、ミスコースして川を渡ろうとしたら水没寸前だったという。そのあとの最後のリエゾンは、立ったひとコマで140㎞あまりの舗装路を直進とだけ記されていた。私たちが舗装路へ出ると、もう夕暮れで、舗装路なら心配ないと思っていたのが大間違いだった。大雨のために道路のあちこちが陥没してしまい、道路の両側に無数の迂回路ができていた。もちろんドロドロのダートで、どれが正しいのかは見た目にはわからず、キャンプ地のGPSを頼りに、暗い中を走ることになった。たまたま尾上組と2台一緒になったので、協力し合ってなんとかキャンプ地に到着。1台だけ遅れた堀井号は、暗闇の中の泥水の池にはまってしまい、キャンプに帰ってきたのは翌日の朝5時過ぎだった。

ETAP-7 2台で走ってみました

7日目、8日目は、堀井号と共に走ることになり、協力し合いながら、着実に順位を上げた。気がつくと、61台いた仲間たちは、36台になっていた。最後の8日目のETAP-8のゴールを果たした時、我ら橋本組は達成感と安堵した気持ちでいっぱいだった。先にゴールしていた尾上さんが、「よく完走したなぁ」と、拍手しながら迎えてくれた。そしてマシンから降りて、橋本さんと2人で握手した。この握手にはたくさんの意味がある。本当に完走できて幸せだと思うし、素晴らしく充実した8日間は、心の底から楽しく、橋本さんに感謝している。以前から、ダカールラリーの鉄人・菅原義正さんが、「ラリーは人生とか人間性を磨く場でもある」と、話してくれていたが、わずか8日間のラリー・モンゴリアでもさまざまなドラマがあった。何度倒れても起き上がり、自力で走り切った韓国のライダーや、マシンが何度も壊れても、その度に修理してなんとかゴールへ向かうモンゴルの四輪の選手、そして困っている出場者を助け合う精神も橋本さんから教わった。
いろんな人生経験を積んできたおじさん&おばさんコンビだった橋本組。そんな2人も、ラリー・モンゴリアの毎日はわくわくドキドキだった。こんな気持ち、久し振りに味わったと満足している。平坦な人生に起伏が欲しいとか、ロマンを追いかけたいとか、自分自身を奮い立たせたいとか、何かを発見したい人には、ぜひ挑戦してもらいたいと思う。
ラリー・モンゴリアは、来年で20年。神に出会うような大自然の中を「冒険」するラリーは、夢に溢れたものになるに違いない。

text & photo:緒方昌子

次回(最終回)は12月18日公開予定です!

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