
~思いがけないナビのお誘い~
2012年11月30日、SSERオーガニゼーションの2013年のさまざまな大会イベントの発表会が東京・恵比寿で行なわれた。発表会後には懇親会も開催され、これまでラリー・モンゴリアに出場した顔見知りが多く参加して、にぎやかなひと時を過ごしたのを覚えている。この日、ちょうど自分の誕生日で、ダカールラリーの取材で十数年前から懇意にしてくださっている日本レーシングマネジメントの方々が、会場の片隅でお祝いをしてくれていた。
そのとき、2年連続でラリー・モンゴリアに出場した橋本武志ドライバー(写真左)が、「来年ナビやらない?」と、気軽に声をかけてくれた。橋本ドライバーも、日野自動車のメカニックとしてダカールラリー経験を積んできた人で、やはり数年前からの知り合いだった。私は、長年ダカールラリーのヨーロッパステージ取材に娘連れで行っていたが、ステージを南アメリカに移したあと、三菱の撤退とともにダカールラリーは遠い存在になってしまっていた。また、チームAPIOが2005年を最後にダカールラリーから退き、ジムニーでラリー・モンゴリアに出場するようになってから、ずっとプレスとしてモンゴルに行きたくて仕方なかったことを彼は知っていた。とても嬉しいお誘いではあったが、エントリーフィーやら渡航費やら、躊躇する材料が溢れた。そこで、橋本ドライバーは、「エントリーフィーはなんとかする。プレスという立場でなく、ラリーの出場者としていろいろな事を見ることも大事だよ」と、背中を押してくれた。生まれて半世紀の日に、すごい誕生日プレゼントをいただいたものだ。
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カーライフジャーナリスト 緒方昌子(写真右)
自動車雑誌、単行本編集者を経て、フリーランスライター&編集者、そしてカーライフジャーナリストとして活躍中。
信頼関係を築こう…TDRで練習してみたら心配事が山積みに
その後、いろいろな人の意見を聞き、正式にナビとして出場することを決意した。それからは、あっという間に時間が過ぎたのだが、橋本ドライバーは、まずお互いの人となりを知っておこうということで、ご実家や育った場所を案内してくれた。もちろん、私の家族にも会っている。これって、意外といい案で、人柄をよく知ると、お互いにおもんばかることができる。ラリーの間は、四六時中一緒に過ごすのだから、大事なことだと思う。
常日頃、ドライバーとナビは、ケンカして物別れになることが多いと、ダカールラリーやラリー・モンゴリアなどに出場経験のある諸先輩方からの経験談を耳にしてきた。ナビは、1998年にロシアンラリーで、プレスカーのナビをやった以来のことなので、諸先輩の言葉はありがたく受け止めた。あの時に教えられた「ナビはドライバーが間違ったことを言っても、笑顔で“はい”と、返事をすること」という記憶がよみがえる。でも、一方的でいいものか。一度物別れになると、走っている時以外口をきかないという話も聞いている。となると、どうやって信頼関係を築くか、これが一番大事なのではないだろうか。
そして、3月になると、練習のためにSSERが主催している『TDR 2DAYS 2013』に参加することになった。「ラリーの第一歩を」というイベントで、ドライバーとナビが協力し合って、ゲームやコマ図を使ったラリーを楽しむもの。できれば、モンゴルに出場するジムニーJB23で練習といきたかったが、ちょうど修理&車検ということで、違うクルマで参加した。静岡県の磐田市での開催だったので、現地に着くまで、GPSの見方を教えてもらったり、モンゴルの話で盛り上がったりで、あっという間に到着。TDRでのコマ図を使ったラリーは、普通乗用車でも走れるように、ダートだけでなく舗装路のコースも設けている。日本の道路は、目印となるものが多く、コマ図での分岐がわかりやすい。おかげで、ミスコースもなく、順調にゴール。第一日目の「ミニバイのタイムアタック」などのポイントを総合して、二輪、四輪を合わせた48台中総合10位に入ることができた。
それでも、遠慮しすぎて、コマ図の説明が丁寧過ぎてしまうとか、分岐点までの距離カウントが上手くできないとか、ナビとしての課題は山積みのまま。しかも、モンゴルでは、薄いピストと呼ばれる轍を追いかけて行く。日本の林道とはわけが違う。それに、GPSの見方、操作の仕方を、ちゃんと覚えないと、ミスコースした時に、オンコースに戻ってこられない。そう考えると、アナログ世代の自分が、GPSを使いこなせるようになれるのか心配で仕方なかった。