埼玉県というと、関東でもちょっと地方のイメージが強い(埼玉県民ゴメン!)。その中で行田市なんていうと、もう普通の日本人にはそこが一体どこなのか見当も付かない(行田市民ゴメン!)。
ところがである。飛鳥時代、つまり律令制だった700年代には行田には前玉(さきたま)郡という国郡が置かれ、東国における朝廷の重要拠点のひとつだったのである。もうお分かりの通り、この“さきたま”という郡名は転換され“埼玉(さきたま)”になったというわけだ。ちなみに534年に埼玉郡笠原(鴻巣市笠原)に拠点が置かれていたという説もある。
今では新都心・大宮あたりが“さいたま市”と名乗っているが、行田市民にしてみれば「おのれ、許せん」というわけで、そのブーイングで「埼玉市」とはならなかったのだとか。いずれにせよ、現在では埼玉のどこだか分からない行田は、かつての県庁所在のような町だったわけだ。
飛鳥時代に重要な町→偉い人がいる→死んだら古墳を造る…というわけで、この行田にあるのが彼の有名な「埼玉(さきたま)古墳群」。この古墳群は、国宝の刀剣が出てきた稲荷山古墳をはじめ、双子山古墳、将軍塚古墳といった9つの古墳で形成されている。