埼玉古墳群からジムニーで田園風景の中を10分も走ると、突然美しく水をたたえた公園が見えてくる。農地が多い行田市内だけに、この水辺の風景はまさに異質だ。水辺では日がな一日釣り糸を垂れる太公望たちで賑わい、何ともゆったりした時間が流れている。
水城公園は、もともと忍城の外堀を利用して作られたもの。忍城は1478年に地元豪族の成田氏が築城した。湿地帯に作られた平城で、もともと沼地に点在していた島を橋で渡すという珍しい形で城が作られた。当初は本丸に櫓を建てず二の丸に屋敷を作り、そこを城主の住まいとした。そのため攻めにくく守りやすい城だったらしい。
水城公園から忍城址まではそこそこの距離があるので、かなり広い範囲が沼地だったと思われる。この沼地があったお陰で、城は石田三成の水攻めにも耐えたのだろう。“この城は浮くのか?”と恐れられ、忍の浮城と呼ばれたらしい。北条氏康、上杉謙信、そして石田三成の三人が攻め落とそうとしても落とせなかった名城なのである。