桐生の水道施設は昭和建築の展覧会
元宿浄水場旧事務所は昭和7年の建築。今だからこそモダンだ。桐生の歴史的建造物と言えば明治・大正期の木造建築が多いように思えるが、実は昭和初期のネオ・バロック建築も遺されている。それらは主に水道施設に見ることができる。
桐生の水道は約80年前に整備された。もちろん木道を使った水道はそれ以前にあったのだろう。当時は市全域に配水できるだけのいいポンプがなかったのだろう。水は一度、市の北にある雷電山(水道山)に吸い上げられ、高低差を利用して水圧がかけられた。いわゆる「逆サイフォン」という仕組みだ。
水道山に登ると、いまも昭和7年に建設された配水所事務所跡やポンプ小屋など、意匠に優れた建築が残っている。水道山から見た市内のパノラマは素晴らしく、建築に興味のない向きでも十分に楽しめると思うので、ぜひ登っていただきたい。
元宿浄水場にある急速濾過場。美しい細部の意匠に思わず息を飲む。水道山から南西に下りると、元宿浄水場がある。ここは現在も現役で稼動している水道施設だが、この中にも桐生の近代化遺産が多く残っている。奇しくも昼時だったが、建物を観るくらいはいいだろうと思い、とりあえず施設を訪れてみることにした。
正門は不審者対策のためか閉まっており、裏門からTS4を中に入れる。とりあえず近くにあった事務所で訪問の主旨を伝えると、またまた大変感じの良い女性が正門の事務所に連絡してくれた。女性に教えられた通り、別な事務所に向かい、再び見学の希望を伝える。今度は昼食時間にも関わらず、若い男性がわざわざ建物の鍵を開けてくれるという。桐生の人の親切さは底なしである。
小ぶりではあるが、首都に遺るネオ・バロック建築に劣らぬ造形で、いまさらながら昔の人の志の高さを再認識させられた。河野隊長もデザイナー魂に火が着いたのか、建築をつぶさに撮影している。もはやシャッターが止まらないようだ。
設計は清水三五郎という人だそうだが、残念ながら調べてもどんな建築家だったのかは不明だった。でも、80年経っても氏の作品がこうして大切に遺されているのだから、さぞ鼻が高いことだろう。
それに比べると、現在の水道事務所はお世辞にも美しいとは言えない。実用性を重視してと言えば聞こえはいいが、要は100年持ちますように…という作り手の祈りがないからだろう。
かなり美味い桐生のB級スイーツ
桐生市民のソウルフード「ビスロール」。要はロールパンにビスケットを巻いたもの。前回は桐生にフラッと来てしまったが、今回は事前にいろいろと予習をしておいた。その中で僕の気を奪ったのが「ビスロール」と「はなパン」なるもの。どちらも桐生にしかないパンらしい。その名前からだけでは、まったく如何なる物か想像も付かない。
ということで、炭水化物断ちをしている我ら探検隊2名はパン屋に向かった。訪れたパン屋は
「レンガ」という店。ただし、探検隊が行くのだからタダのパン屋ではない。この店は大正時代に建てられたイギリス積みレンガ造りののこぎり屋根工場で、かつてはここも織物工場だったという。
工場だったというだけあって、下の写真のように中は天井が高く広々している。この季節は若干寒いが、各所にストーブやブランケットが用意されているから寒がりでも安心。
桐生探検ギャラリー
おいしいパンと珈琲が楽しめる「レンガ」。砂糖をまぶしたパンの耳が食べ放題だ。店内に入って、早速二種類のパンを探す。ビスロールは見つかったが、残念ながらはなパンはないようだ。ビスロール1個と珈琲を買って、席に着く。もちろん、隊長にも半分食べていただく。“カロリーのおすそわけ”である。探検隊は一蓮托生がモットーだ。
ひと口食べると、これが美味い。要はロールパンにビスケット生地が巻いてあるのだが、フワッとしている部分とカリッとしている部分が絶妙にミクスチャーしていて、食感が楽しい。味もなかなかだ。中をよく観ると、こちらも密度の違うパンが2層になっていて、実に凝った食べ物なのである。
はなパンにはお目に掛かることができなかったが、市内の「小松屋」という菓子店が考案したもので、説明からするにタマゴパンや丸ボウロのようなものらしい。他のパン屋やスーパーマーケットなどで売っているというので、次回は是非ともチャレンジしてみたい。
桐生にはこの他にも「コロリンシュウマイ」「栗まんじゅう」「アイスまんじゅう」「げんこつドーナツ」などご当地スイーツがたくさんあるようで、いずれ僕が速見もこみちみたいなボディになったら全部食してみたいと思っている。
黒川鉱山跡に向かう林道。鉱山跡は上の砂防ダム付近にあったらしいが、間違って進んでしまった。桐生のことを調べていたら、市街地からさほど遠くない所にかつてマンガンを採掘していた鉱山跡があることが分かった。そこに向かうには林道があるということなので、すっかり最近林道づいている僕は欲望の赴くままにそこを目指してみた。
市街地から10分も走るとうら寂しい山の中の入るのだが、仙人ヶ岳の登山道に向かう林道は想像と異なって舗装路。だが、僕の見た資料では鉱山跡に向かうにはクロカン4WDでなければ無理…となっていた。ということは、どうも脇道らしい。
しかし、落葉で埋もれた超極細の林道支線を目の当たりにすると、どうにも腰が引ける。「僕、ちょっと歩いて偵察してきますよ」と隊長が、薄暗い山の中に消えてしまった。TS4のエンジンを切ると、辺りに静寂が広がる。こういう時、頭の上で「コダマ」がカタカタ言いながら勢揃いしていたら超コワイ…と、取材当日に齢49を迎えたオヤジがちょっとびびる。
しばらく待ったが、隊長が戻ってくる気配が一向にないので、意を決してTS4のトランスファーを4Lに入れて後を追うことにした。それにして、よくこれだけ積もったものだと思うほど落葉がすごい。おかげで路肩も側溝もよく分からない。しかも道幅が狭すぎる。資料には「クロカン4WDなら」と書かれていたが、「ジムニーで何とか」の間違いであろう。
林道支線は植林地で行き止まり。ビギナーは絶対に行かないほうがいい。道はやがてガレ始め、急坂あり、タイトターンあり、キャンパー走行ありと、相当な難コースになっていく。何と間が悪いことに、このTS4はスタッドレスタイヤに交換したばかり。ここでスタックしたら、もはやどうにもならない。そうなったら、隊長もTS4も置いて帰っちゃおうかな…などとよからぬことを考えながら、前に進む。
周りの林が途切れ、さらに高度感が出てきた所に隊長が佇んでいた。「音は聞こえるけど、なかなか来ないから心配しちゃいました」と言うが、正直ここまで走るのだって絶叫マシンなみだったのだ。
さらに走るが、鉱山跡らしき場所など見つからない。帰京してから分かったことなのだが、実は鉱山跡ははるか下のほうにあったらしい。しばらく行くと、植林地にネットが張ってあり、林道はここで終点。ちょっとした広場があるのでそこUターンしようと思っていたが、後方確認をするために降りた隊長の姿がいきなり消えた。
見ると、隊長は落葉のトラップにはまっていた。もし、このままバックしていたらTS4も消えるところだった。ほうほうの態で逃げるように本線へと戻った。ジムニーならではのアクティビティだったが、オフロードに不慣れな方は行かないほうが無難だ。
おこげ入りカレーうどん(800円)は何度でも食べたい味だ。
桐生探検ギャラリー
明治7年に建設された桐生衛生所には医学校も併設されていた。いまは桐生明治館という博物館。
桐生明治館は喫茶のみでも入館できる。中はほぼ当時のまま。珈琲も安い。
本町通りの中心にある「有隣館」はかつて味噌や米を商っていた矢野本店の蔵。
本町通りに沿った土地は短冊状になっているため、このような懐かしい路地が多く遺る。
有隣館に隣接した矢野本店。土地の土産のほか、今も米や味噌の本業を続ける。
本町通り沿いにある銭湯・一の湯の創業は約100年前。効能があるらしく、わざわざ遠くから人が来る。
桐生天満宮の起源は西暦71〜130年に伝えられている。当初は磯部明神と呼ばれていたという。
天満宮の現在の社殿は1789年に創建された。その豪華さに驚嘆。