2014年もスタートしたが、なかなか日本人の心は澄み渡らない。東アジア諸国との外交問題や国内経済、東北復興や沖縄基地問題など、私たちの上に様々な問題がのしかかっている。
何となく行き詰まった時、僕は地方に出かけることにしている。今やほとんどの日本の地方都市は過疎や高齢化といった問題を抱えており、かつて栄えた町でも信じられないほど寂れている。だが、そんな夢の跡のような場所にこそ「なぜその時代に日本は元気だったのか?」という答えがあるように思えるのだ。
昨年暮れに、僕は癒しを求めて桐生を訪れた。これまでも多くの古い町を訪れたがそれらとは何かが違い、桐生という町は心の隙間にぴったりとフィットするような不思議な雰囲気を放っていた。残念ながらその時は時間が少なく、あまり多くを見ることができなかったため、今回河野隊長と共に再訪することにしたのである。
都心からは関越自動車道、北関東自動車道と乗り継いで2時間弱。ジムニーでもあっという間に着く。多くの諸兄はご存知だと思うが、桐生は機業で栄えた町であり、その起源は奈良時代と実に古い。この地は養蚕や絹織物の技術を持った人々が都から移り住み、朝廷に「あさぎぬ(絹)」を献上していたという記録が残る。