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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.047
やさしいワンダーランド[能登]
やさしいワンダーランド[能登]

2015年春の北陸新幹線の開通で、これまで関東からはアプローチしずらかった能登がグッと身近になる。
となると、当然のことながら観光客で溢れることになるので、
その前に静かな能登を味わおうということで、隊長と僕は片道7時間の探検に出かけた。
今回は、能登半島の中にあるちょっとマニアックなスポットを探検していこう。

画像をクリックすると拡大&情報が見られます(スマホ、タブレット一部機種を除く)。

“ヴィクトリーラン”を彷彿させる渚の道

「千里浜なぎさドライブウェイ」は、大型バスや乗用車でも走行できる珍しい海浜の道路。

今回探検する能登半島は、日本で最も突出面積が大きい半島だ。日本列島は今から2300万年前〜530万年前の中新世という時代に大陸から切り離されたらしいが、その前の日本海と言えば浅い湖だったと考えられている。能登半島はその時代から、湖に突き出た半島として存在していたようだ。

この地には「能登
はやさしや土までも」という杵歌が伝わっているが、これは直訳すると「能登は土まで優しい」という意味だ。つまり、能登は人も風土も優しいということを意味している。日本の地方には、民度の高さを感じさせる土地が多く残っているが、この能登もまた人に優しく文化レベルが高いと言われる。

ちなみに能登という地名は、アイヌ語で『半島』を意味するノットから来ているという説があれば、石動山にいた方道仙人が話すことができなかった垂仁天皇の皇子を直し、その後天にに登ったことことを伝える『能く登る』から来ている説もある。

能登は海山が非常に美しい場所で、とくにこれからの季節は海沿いでキャンプをするのが最高だ。小さな入り江が多く、かつては不審船や工作員上陸などで騒がれたが、まるでプライベートビーチのような贅沢な趣に溢れている。かつて入り江にある県立のキャンプ場に泊まったことがあったが、あまりに美しいので移動をやめて1週間居着いたくらい快適だった。

さて、能登半島の付け根には加賀の都である金沢がある。ここも見所いっぱいの場所だが、今回は通過して能登半島へ直行することにした。金沢から「のと里山海道」に乗れば、比較的スピーディに半島にアプローチすることができる。このバイパス道路は、かつては能登有料道路と呼ばれて通行料金が取られたのだが、昨年3月から名前を変えて無料化になった。

ダカールラリーのヴィクトリーランを思わせるこんなシーンに出会った。

そんなありがたーいバイパスを千里浜ICで降りると、能登半島最初の必見スポットがある。「千里浜なぎさドライブウェイ」だ。このドライブウェイをご存じの方は多いと思う。日本で唯一の砂浜走行が合法的にできる道だ。

砂が水分を含むと硬くなって、大型車が走っても沈むことがないのである。宝達志水町から羽咋市まで約8km続く道で、繁忙期にはマイカーやら観光バスやらがガンガン走っている。

ちなみにこのように2WDでも走れる砂浜の道は世界でも珍しく、ニュージーランドのワイタレレビーチとアメリカのデイトナビーチ、そしてこの千里浜の3カ所だけなんだとか。どうしてこのようにしまった砂浜になるかというと、それは砂粒の大きさに理由がある。

普通、砂浜の砂は大きさもまちまちなので、粒と粒の間にできる隙間が大きくなる。ところが千里浜の砂は粒が揃っていて角張っている。そのため、密度が高く、水分を含むと硬くなるのである。

ジムニーなら4WDにシフトするまでもないが、気分を盛り上げるためにとりあえず4WDボタンを押してみた。ただ油断すると波打ち際や砂丘側の柔らかい部分でスタックする可能性があるので、轍が付いている部分を走るのが無難。

当日は天気に恵まれて、空も海も気持ちの良い色になってくれた。波の音を聞きながら走ると、まるでダカールのゴールに向かっているような気分にさせてくれる。ここを走るのは3度目だが、何度走っても気持ちがいい道だ。落日の頃には、海と空が幻想的な色に変わり、それもまた美しい。

なぜか能登にある“モーゼの墓”

宝達清水町の山中にある、モーゼの墓と言われる古墳。

皆さん、モーゼの名前はご存知だろう。エジプトで奴隷化されていたユダヤ人を解放して、シナイ半島にある“約束の地”まで導いたと言われる、ユダヤ教・キリスト教の聖人である。モーゼはシナイ山に登り、そこで神より「十戒」を授かった。これら一連のエピソードは、チャールトン・ヘストン主演の「十戒」で詳しく描かれている。

この十戒が刻まれた石板を入れた箱が「アーク(聖柩)」であり、トンデモ本などによるとこれが御輿の原形であり、アークは伊勢神宮に隠されていると言われている。僕はトンデモ本が大好きなので、素直にこの説を信じているわけだが。

さて、この大聖人であるモーゼの墓が何と能登の宝達志水町にあるのだ。“こいつ、ついにおかしくなった”と思われそうだが、一応そういう伝説がこの地に伝わっている。伝説の発端は、常に真書か偽書かが論じられる「竹内文書(たけうちもんじょ)」。

明治の宗教家・竹内巨麿によって公開されたものだが、オリジナルは武内宿禰の平群真鳥が天皇の名により、神代文字だった同書を漢字とカタカナで編纂し直したと言われる。中身は、これまでの日本史とは違う歴史が書かれており、キリストが日本で修行したとか、日本が世界の中心だといった内容で、トンデモ本の名作である。

仮に学者たちが言うように偽書で、すべては竹内巨麿の創作だとしても、それはそれでその想像力の豊かさに驚かされる。

上:古墳の山頂にあるモーゼの墓碑。下:モーゼパークには3つの古墳をイメージしているのか、3本の柱が立つ。別な見方をすれば、ユダヤ教・キリスト教の「三柱」にも思える。

さて本題のモーゼの墓である。地元有志が作った案内看板によると…

モーゼは十戒が刻まれた石板を持って、日本を訪れた。そして、石板を当時の天皇に献上したところ、天皇は大層感激して自分の娘である大室姫を嫁がせた。やがて2人は新たな使命を帯びて離日。大業を成し遂げて、再び宝達志水町に戻り、この地で永眠した…と竹内文書に書かれているらしい。

モーゼの墓と言われているのは、正式名を「三ツ子塚古墳群」と言う。その名の通り、山中に3つ並ぶ円墳だ。モーゼの墓かどうかという話は置いておいても、この3つのマウンドは立派に古墳として認定されているのである。つまり墓ということは間違いないようだ。

さて竹内文書によれば、中央がモーゼの墓で、右は大室姫の墓、そして左は2人の孫の墓ということになっている。駐車場にジムニーを置いて、山道を10分ほど歩くと、件の3つの古墳を目の当たりにする。どれもでっかい土饅頭という感じだが、周囲の地形を考えると明らかに人工的に造られたもののようだ。

この墓は戦後、GHQの部隊が地元でアルバイトを雇って発掘調査を行ったという事実がある。モーゼの墓という噂を聞きつけてなのか、それとも別の意図があったのかは定かではないが、発掘では人骨は出なかったとされている。だが、一方では近くの石灰山で膝からくるぶしまで75㎝もある巨人の骨や、異国の冑、奇妙な形の貴金属が発掘されたという話もある。

モーゼは2mを越える巨人だったらしく、この骨に因果関係があるのか、ミステリーは深まるばかりである。ちなみにこの地方には「平林」という場所があるが、これは「へらいばし」と読むのだという。またキリストの墓がある青森県の戸来村同様、盆踊りの時などはヘブライ語のかけ声をかける風習が残っているらしい。

いずれにせよ、こんなミステリーが能登に残っているのは何とも楽しい。だが、能登に残る不思議な話は、モーゼの墓だけはなかったのである。

UFOの町にある超本気な宇宙博物館

UFOの形を模した「コスモアイル羽咋」。その展示は宇宙ファン必見!

宝達志水市のお隣の羽咋(はくい)市は、日本でも随一のUFOの町として知られる。この町には不思議な伝承が多くあり、そのどれもUFOらしき謎の飛行体についてなのである。

先の項でご紹介した竹内文書の中には、天皇や世界の偉人が乗って移動したとされる「あめの浮き船」という飛行体が登場するのだが、日本から世界に飛ぶあめの浮き船の国際線空港が羽咋の羽根にあったと記されている。また、シンバルのような形をした仏具“そうはちぼん”が空を飛んでいたという伝説が残っていたり、眉丈山周辺では“鍋が降りてきて人をさらう”という神隠し伝説が残る。

羽咋にある正覚院に伝わる「気多古縁起」という文献には、神力で空を飛ぶ物体が記録されているという。この文献は奈良時代に書かれたものとされているので、かなり昔から羽咋にはUFOが出没していたことになる。

ということで、この町は昭和のUFOブームに乗って、UFOで町おこしを始めた。仕掛けたのは、矢追純一氏が手がけた番組などにもよく出ていた羽咋公民館元主事の高野誠鮮氏だ。この人がアノ手コノ手を使って羽咋をUFOでメジャーにしていったわけだが、高野氏の功績のひとつが「コスモアイル羽咋」だ。

この高野氏というのは実にユニークな手腕の人物で、UFOで町おこしをする時にアメリカ大統領、ソ連書記長、ローマ法王など、世界の名だたる人に手紙を送ったらしい。返信はなかったらしいが、この時に世界にコネクションができた。そのコネクションを十分に活かして造ったのが、この宇宙博物館なのである。

「ライトスタッフ」でお馴染みのマーキュリー計画に使われたカプセルや、ガガーリンも乗ったヴォストーク宇宙船など、展示されているのはすべて実物!

日本各地にはハコモノ行政的な博物館があまたあるので、最初にこの博物館の存在を知った時は「建物ばかり立派で、展示は嘘くさい段ボールのロケットでもあるんだろう」とタカを括っていた。ところが、である。その展示は、とても羽咋という地方都市(失礼)にあるレベルではないのだ。

映画「ライトスタッフ」で描かれたマーキュリー計画に使ったカプセルや、ガガーリンが地球周回に使ったものと同型のヴォストーク宇宙船などを間近に観ることができるのである。ヴォストークなどは地球に帰還した時の熱で表面が溶けており、それがまたマニア心を震えさせる。

この博物館にはレプリカはほとんどなく、大半がアメリカやソ連の宇宙計画のために製造された本物なのである。改めて高野氏の行動力の凄さが分かる。各国の人脈を駆使して、実物を貸与してもらっているらしい。国立科学博物館にもないモノが、ここ羽咋にあるのである。この博物館を観に、能登まで来ても損はないと断言したい。

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