長ネギ畑を駆け抜けると、深谷の街並みは実に現代的になってくる。イマドキのチェーン店が軒を並べ、まったく昔の風情がないように思える。駅に向かう途中、「深谷城趾公園」があった。深谷城はパート1でもご紹介したが、深谷上杉氏の居城だった。豊臣秀吉によって開城され、その後徳川方の譜代・親藩大名が入城した。ところが1627年に深谷藩が廃止となり、1634年に廃城となっている。
深谷城は南北600mの城域があったと言われる平城だ。実際に石垣や塀などはなく、ちょうど川越城のような堀と土塁に囲まれた平城だったようである。現在、その一部が公園横の富士浅間神社と深谷小学校に残っている。その遺構を見るかぎりでは堀などは浅く、水田のあぜのような感じであったのかもしれない。
江戸初期には廃城になってしまったため、深谷は早々に城下町でなくなってしまったわけだ。だが、江戸と都を結ぶ主要街道・中山道の宿場町であったから、かなり栄えたようだ。また地場産業として窯業と養蚕が盛んだったようである。
さて、とりあえず地元の情報を入手すべく深谷駅に向かうと、その駅舎に驚かされた。なんと、そこには東京駅があったのである。奇しくも2014年12月に、東京駅は竣工100周年を迎えたばかり。これはちょっとした深谷のトピックだ。