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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.068
「大和」が生まれた町[呉]

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「大和」が生まれた町[呉]

よく過酷な環境だとは聞くが、一度潜水艦の中に入ってみたいとかねがね思っていた。
そんな思いをかなえてくれる場所が、呉にはあるのだ。
かつては軍港だった呉だけに、そうした一面を感じさせる場所が多い。
だが今の呉をそれを隠そうとはせず、かえってオープンにしようという思惑が見え隠れしている。

画像をクリックすると拡大します。

ゆうしお型潜水艦にいつでも乗れる広報館

ジミ〜に海上自衛隊の活動や装備が展示されている「てつのくじら館」。もちろん入場は無料。

陸上、海上、航空3つの自衛隊の中で、一般人との接点がもっとも少ないのが海上自衛隊かもしれない。年に数回、基地や寄港地で護衛艦の見学会や3年に一度の観艦式があるが、各地で基地祭を開催している陸上や航空と比べると圧倒的に“閉鎖的”とも言える。

おもしろい話なのだが、旧軍時代も秘密主義の海軍に対して、陸軍は国民に広く情報を開示していた。零戦などはかなりの間、秘密兵器であったのだが、陸軍の一式戦闘機・隼などは登場後すぐに映画「加藤隼戦闘隊」に登場させて国威昂揚を狙っている。

陸軍がメディアを上手く利用したのに対して、閉鎖的な海軍は何かと国民の目から隠したという。

とは言え、現代は“国民の血税で維持している”という自衛隊の意識もあるので、昨今では様々な広報活動が行われている。そのひとつが、呉にある「「てつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)」である。“てつのくじら”とは潜水艦のことで、なんとここには「ゆうしお型潜水艦」が解体することもなく、そのままで展示されれいるのである(上の写真)。

国道31号から1本はずれて海沿いの道を走っていると、思わずギョッとする光景に出くわす。なんとそこには、潜水艦がドーンと置いてあるのだ。先ほどアレイからすこじまで見た潜水艦は海に浮いていたので、喫水線から下は見えなかったが、全容はこんなに大きいのかと驚かされる。

ちなみにここに展示されているのは、ゆうしお型の7番艦「あきしお(SS-579)」。ゆうしお型は昭和50年代に10隻が建造された第二世代潜水艦で、2008年に練習潜水艦「ゆきしお」は退役するまで、約30年間も活躍した。

ちなみにあきしおは現在、建築基準法上で建物として登録されているのが笑える。

あきしおの発令所。古い型の潜水艦とは言え、ホンモノを観られるのは興奮する。
館内にはいると、入口で現役の海上自衛官が迎えてくれる。女性自衛官だと僕ら3人はテンションが上がるのだが、残念ながら水兵さんだった。2007年に開館したばかりということで、施設はまだきれいだ。 ただ埼玉県の朝霞にある陸上自衛隊広報館に比べると、屋内に入れられる装備が少ないためか、少々地味な感じがする。海上自衛隊のこれまでの歴史や活動などを展示で紹介しているのだが、正直なところちょっと飽きてしまった。もう少し装備とか我々の興味が持てる展示を、この場を借りてリクエストしておきたい。 とは言え、ここの目玉展示は何と言っても潜水艦だ。途中の展示をちょっとだけで倍速で見学して、さっそく外の潜水艦へと向かう。側に寄ると、やはりその大きさに圧倒されてしまう。777やA300など旅客機よりも胴体が太いので、なおさら大きく感じるのかもしれない。 通常は艦橋や甲板にあるハッチから出入りするのだが、この潜水艦は見学ルートが作られているので、脇の入口から入る。見学ができるのは、潜水艦のごく一部だ。発令所があるフロアで、機密となっている機関室や魚雷室などは一切入れない。 士官用のベッドなどを見学しつつ、いよいよお待ちかねの発令所へ。おお、潜望鏡などが確かにある。そこには潜水艦乗りだったらしきおじさんが2人いてガイドしているのだが、「潜水可能な深度とは?」とか肝心な質問に関しては、ほとんど「機密です」で済まされてしまった。 本当はこの発令所で河野隊長と魚雷発射ごっことかしようと盛り上がっていたのだが、質問をはぐらかすばかりのおじさんいるおかげで、それもできない。だったら、自由に見せてくれればいいんだが…と恨み言を言いつつ、あっと言う間の見学コースを終えた。 僕らは数分で外に出るが、潜水艦乗りは長い時間、外も見えない艦内で暮らすわけだ。あの空間にずっといるのかと思うと、やはり並みの神経では務まらないことが分かる。 帰る前にオススメしたいのが、1階のカフェにある潜水艦カレー。1日10食限定のため僕らは食べられなかったが、ライスが潜水艦型でカレーの海に浮かんでいるという洒落たデザイン。味は分からないが、かなり好評らしいので、機会があったら食べていただきたい。

呉沖にある風光明媚な島・江田島へ

江田島には大和ミュージアムの横の港からフェリーで20分。ジムニーならJB43でも1000円で、陸路よりも時間もコストもオトク。
旧呉鎮守府長官の旧公邸(ギャラリー参照)をぶらりと探検したところで、広島でイベントに出席する河野隊長とお別れ。ここからは山崎&山岡巨匠の“チーム・ピーク”で探検を続けることとなった。呉市内は一通り観て回ったので、僕らは江田島に向かうことにした。 江田島へは橋を使って行くことができるが、一度倉橋島に渡って、それから江田島に渡るというルートになる。これだけで結構な距離で、時間も小一時間ほどロスしてしまうのだ。ここで隊長が去り際に「フェリーで渡った方がいいのでは」というナイスな助言を残してくれた。なるほど、調べてみたらフェリーなら呉から20分で行ける上に、ジムニーならJB23、43ともに1000円(乗員1名の料金込み)で行ける。もう1人の分を払っても1500円以下で行けるのだ。ガソリン代と時間を考えると、間違いなくフェリーがいい。 港で待っていると、トミカシリーズのフェリーみたいなかわいい船がやってきた。乗り込み時間5分で出発という、まるで電車のようなフェリーだ。内海なので揺れることもなく、護衛艦や大きな船を眺めながらの優雅な20分間だ。

呉探検ギャラリー

国民宿舎能美海上ロッヂの遠景。撮影した時間帯は干潮が始まった時だったが、満潮時には海の上に浮かんだようになる。
どんよりとした天気だが、それもまた旅を印象的にしてくれる要素だと思う。船を下ると、呉市内とは明らかに違う島独特ののんびりとした雰囲気が漂っていた。江田島は地理的におもしろく、地続きだが西能美島と東能美島という島とくっついている。実は江田島は能美島とは海で隔たれた独立した島だったのだが、埋め立てでくっついてしまったんだという。 ちなみに西能美島と東能美島は昔からひとつの島なのだが、なぜかふたつの島の名前が付いている。実に不思議なハナシだ。江田島の主幹産業は牡蠣の養殖、ミカン栽培、造船、花栽培、漁業。中でもむき身の牡蠣生産量は全国2位なんだとか。 さて、今宵は能美島にある「能美海上ロッジ」に泊まる予定だ。ちょっと古い国民宿舎なのだが、海の上に浮かぶように建てられているのが面白くてチョイスしてみた。着いた時には雨も強く、5時とは思えないくらい暗かったのだが、部屋のベランダからどどーんと海が望めて、なかなかいい宿だ。
海が見えて、しかも泉質抜群の温泉。近くには日帰り入浴施設もある。
ご飯も悪くない内容で、この辺りで穫れる新鮮な魚介類がテーブルの上に並べられる。食事もさることながら、山岡巨匠と僕が最も感動したのは、ここのお風呂である。 風呂は天然温泉で、泉質は含弱放射能塩化物泉。なめるとすごくしょっぱい。最初に浴槽を見た時は「温泉ってバスクリンかよっ」と思ったくらい鮮やかな緑色で、温泉をたくさん取材してきた山岡巨匠もこんな湯は見たことがないという。 湯はとろみが強く、肌が磨かれていく感じがする。しかも身体の温まり具合がすごい。その夜は大汗をかいて寝たくらいのパワーだった。 ちなみに能美海上ロッジの横には日帰り温泉「シーサイドのうみ」があり、宿泊者はそこも利用することができる。僕らは時間の都合で入れなかったが、そちらには露天風呂もあるようだ。 この温泉は本当に名湯なので、呉市内に泊まる場合でもぜひ日帰り入浴施設に立ち寄って入っていただきたい。
「軍艦利根資料館」の中にある重巡洋艦利根の模型。江田島湾で停泊中に米軍機の攻撃を受けて撃沈した。
能美海上ロッジの前には穏やかな江田島湾が広がっている。内海なので湖のように静かで、遠くに牡蠣の養殖イカダが見えて、なんとものんびりした時間が流れている。 だが1945年のこの海で、ある軍艦が米軍機の攻撃を受けて沈んだ。重巡洋艦利根である。 利根は利根型重巡洋艦の一番艦で、1937年に進水した。ちょっとマニアックなネタだが、重巡洋艦なのになぜ山の艦名じゃないかというと、利根は当初は最上型軽巡洋艦の七番艦として計画され、重巡になっても名前だけは残ってしまったからだ(軽巡洋艦は河川の名前)。 利根は太平洋の緒戦でかなりの活躍をした後、呉に戻って海軍兵学校練習艦として退役までの時間を過ごすはずだった。ところが1945年に三度にわたる攻撃を受け、江田島湾で6発の爆弾を被弾したことが原因で大破着底。そのまま終戦を迎えた。最期の攻撃で136名の乗組員が犠牲になっている。 戦後、利根は鉄不足のために解体されてスクラップになったが、能美海上ロッジ前の海に着底したことから、慰霊碑と資料館が建てられている。資料館には利根の装備や、乗組員にまつわる品が展示。今はかつて戦争があったなどと想像できないほどの穏やかな海だが、確かに日本で戦争があったのだと、改めて思い知らされた。
通称「赤レンガ」と呼ばれる幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)。

1917年に建てられた大講堂の内部。中央演壇の後ろの、アカンサスの装飾で彩られているのは玉座だ。

海軍と言えばカレー。江田島クラブの食堂にあるカレーはシンプルだが、非常に美味。

前を海、背後を山に囲まれた呉。絶好の防御地形だ。
1/10大和は、その精巧な作りに驚かされる。乗組員や遺族の新証言が出てくると、それを基に細部を改修しているようだ。
館内には戦時中の様々な軍艦の模型があり、昨今の「艦コレ」ブームの影響か、多くの若者が訪れている。
真珠湾攻撃で特攻に出た甲標的の内部セット。TVドラマで使用されたもの。内部が忠実に再現されている。
てつのくじら館のあきしおの艦長室。艦長でもこれだけの空間しかもらえない。
司令所で潜望鏡を体験する隊長。昼間用と夜間用の2本がある。
これが夜間用の潜望鏡から見た風景。潜望鏡を出す時は、潜水艦側も発見のリスクがあるので緊張するらしい。
ゆうしお型の操舵席。2つあるのは動きが似ている飛行機を真似たのと、居眠りを互いに監視するためんだとか。
大和ミュージアム前の公園にある、大和の大きさが分かる表示。地面のタイルによって構造物を表している。いわゆる半身状態。
重巡洋艦利根が大破着底した場所。今は牡蠣の養殖が行われている平和な海だ。
海上自衛隊の聖地である教育参考館。貴重な資料が16000点も収蔵されている。
帰りのフェリーから見えたそうりゅう型潜水艦。こういう光景が呉では日常的にみられる。