「美しい」。僕が姫路城を見るのは、これが二度目だ。前回訪れたのはもう30年近く前だが、もちろんその頃の姫路城は“黒”かった。今回、時間を経て観てみると、やはりこの城に込められた美意識のすごさが再認識できる。
姫路城は姫路市街の外れに位置し、姫山と鷺山に築かれた平山城だ。南北朝時代には赤松氏がこの辺りに城を築き、戦国期後半になると小寺氏の家臣である黒田氏(黒田勘兵衛の一族)が近世城郭を築城した。
後に羽柴秀吉が中国征伐の拠点とし、黒田勘兵衛は城を秀吉に譲ったとされている。秀吉が城代となった時に、当時流行していた石垣が築かれた。だが、それも現状の姫路城のごく一部であり、秀吉の後に城主となった池田輝政が8年もかけて大改修を行い、ほぼ現在の姿になったとされている。
その後、徳川の譜代大名や親藩大名が城主を務めたが、姫路城のラッキーが始まるのは明治以降である。ご存じの通り、明治には政府から廃城令が発布されて日本の多くの城が取り壊されてしまったが、姫路城は競売にかけられ、地元の金物屋の主人が現在の金で約10万円で落札したのでる。
実は瓦や鉄骨を転売する目的で購入したという説もあるが、いずれにせよその後姫路城は陸軍省が買い取ることになる。明治も中期になると世の中が落ち着き、城を保存しようという動きが出てきた。明治43年には国費による姫路城の大修理が始まった。