我が家は何だか鎌倉好きで、年に何度かは彼の地を訪れる。砂岩質の山の囲まれた風土は独特で、多くの文化人や有名人が好むのも理解できる。かの原節子さんも、引退後は鎌倉でひと目を憚って暮らし続けていた。敬慕する小津安二郎が眠っているからという理由もあるのだろうが、目抜き通りから一歩外れると途端に静かになる土地柄ゆえかもしれない。
さて諸兄は鎌倉というと何を連想するだろうか。鳩サブレー? 江ノ電? 鎌倉と言えば、やはり幕府である。源頼朝が北条家や各地の豪族の手を借りて平氏を滅ぼし、凱旋してきたのが鎌倉。そして、後に幕府を開いたのが鎌倉である。なぜ鎌倉だったのか?
かつて鎌倉には、京都を出奔した頼朝の父である源義朝が住んでいた。元々は河内源氏と言って関西を拠点としていた源氏だったが、一説では父親との確執で京都を飛び出した義朝は、関東に軸を映してその頭角を現した。
義朝が滅んだ後、頼朝は伊豆に流されたが、伊豆の小豪族だった北条氏の力を借りて挙兵。一度は小田原の石橋山で敗走するが、房総に渡って味方を集め、わずか1か月後にリベンジを果たすのである。そして各地で平氏を破った後、鎌倉に入り、自らの館を構えるのである。