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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.078
天下の嶮周遊ツアー[箱根]

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天下の嶮周遊ツアー[箱根]

「箱根の山は天下の嶮」と歌われたのも、今は昔。
かつては江戸を守る要衝であり、旅人たちを恐れさせた難所だった。
昨今では外国人観光客が大挙してやって来る観光地である。
今回は少々騒がしくなった箱根を再発見する探検に出かけてみた。

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飴とムチだった箱根街道

旧道のひとつである国道1号は、かつて源頼朝が箱根神社参拝のために整備した道がベースになっている。

箱根というと、やはり日本有数の温泉地というイメージが現代では強い。だが、かつての箱根周辺は神聖な場所であり、そして江戸を守るための場所であった。歴史の勉強でも習ったと思うが、「入り鉄砲 出女」という言葉がある。江戸幕府は箱根に関所を設けて、東海道を往き来する人や物流を厳しくチェックした。

入り鉄砲は江戸に入る武器や不穏分子をチェックし、出女は人質として江戸で生活する義務があった大名の妻女たちが帰国しないように見張ったわけだ。また東海道を敢えて箱根という難所を通すことで、江戸に進軍してきた時の時間稼ぎという意味合いもあった。

現在、小田原-箱根-三島のルートは3つある。ひとつは国道1号線の旧道、2つめは箱根新道、そしてもうひとつは旧東海道と並行して走る県道732号だ。できた順番で言えば旧東海道、県道732号、国道1号旧道、箱根新道となるが、実は国道1号旧道のベースとなった道があった。

旧東海道跡に残された石畳。徳川時代の初期に、このようなインフラが整備されていた。
それが現在「湯坂道」と呼ばれている道路で、これは箱根神社を崇拝していた源頼朝が伊豆の走湯山や三島大社を参詣するために使った道だ。後の鎌倉将軍も同じように参詣したために、徐々に整備されていったという。江戸時代に旧東海道ができるまでは、多くの人が箱根越えはこの道を使っていた。一度は旧東海道にその座を奪われたものの、結局、道路整備の問題から湯坂道が国道1号になったのというもおもしろい。 結局、この3つの道は箱根峠付近ですべてが合流して国道1号にまとめられる。国道1号や県道732号沿いには、今も旧東海道の名残が意外と多く残っている。小田原から三島までの八里(32㎞)は通称「箱根街道」と呼ばれるが、この区間は基本的にすべて石畳だった。 この辺りは関東ローム層独特の赤土だったため、非常に滑りやすかった。そこで幕府は当初、この道に竹を敷いていたのだが、耐久性の問題からか石畳に改修された。1680年頃にはすべて完成していたというから、昔のインフラ整備も侮れない。 また旅人が少しでも快適に通行できるように街道沿いに杉並木を整備し、移動距離が正確に分かるよう一里塚を作ったのである。箱根関所では厳しい詮議があったものの、基本的には通行人に様々な配慮がされており、箱根街道はまさに飴とムチの道だったわけだ。

宮ノ下はグルメの宝庫だった!

渡邉ベーカリーの名物「温泉シチューパン」。温泉水を利用しており、非常に美味!
箱根湯本駅前をスタートし、ジムニーは急な箱根の道を登っていく。途中、塔ノ沢や大平台といったメジャーな温泉地を通り、やがて国道1号は宮ノ下交差点で左へと曲がっていく。 この宮ノ下には、世のグルメファンが訪れると必ず食べるというものがふたつある。ひとつは渡邉ベーカリーの「温泉シチューパン(575円)」。ジムニーを店の駐車場にとめて、早速店に行ってみた。創業は明治24年という老舗のパン屋さんだが、店の外見は普通のベーカリー。 軒先には温泉が出る井戸のポンプがある。この温泉水を使ってシチューを作っているのだろうか。中に入ると、平日だというのに店内は居場所がいないほど混んでいる。ほとんどが温泉シチューパンが目当てのようだ。僕も20分ほど待って、ようやくありつけた。 丸いフランスパンをくり抜いて、そこにビーフシチューが入っている。見た目からして美味そうだったが、実際食してみるとシチューが激ウマ。味に角がないのは、温泉水を使っているせいだろうか。非常にマイルドでコクがある。周りのパンも少しながら崩して食べるのだが、あまりに美味しく瞬殺。 美味いから文句は言えないが、価格的に考えればもう少しボリュームが欲しかった。だが、食す価値はあるパンだ。
富士屋ホテルのビーフカレー。コンソメをベースにしたその味は、カレーのイメージを一新させるはず。
さて宮ノ下と言えば富士屋ホテル、富士屋ホテルと言えばカレーである。ここのビーフカレーは今上天皇が皇太子時代に食していたくお気に入りになられたことから、ホテルの名物料理となった。 豪奢な造りのダイニングに入り、早速ビーフカレーを頼んだ。カレーはいろいろ種類があるようだが、名物はビーフカレーというのであれば、まずベーシックに攻めてみたい。フロアスタッフが「当ホテルのカレーはフォークで食べていただきます」という。なぜなのか。 待つこと15分。カレーを入れたお馴染みの器とライスが運ばれてきた。2290円とかなりお高いが、福神漬けなど6種の香の物も付いている。さて、お味。 「なんだー、この味は!」と思わず海原雄山ばりに叫びたくなるほど、僕がこれまで食べてきたカレーとはまるで違う味がした。 非常にマイルドで、カレーというよりはカレー味のシチューに近いというべきか。それでいて味の奥にいろんなものが潜んでいる気がする。通常、カレーはベースにブイヨンなどを使うことが多いが、富士屋ホテルのカレーはコンソメを使っているのだという。完成したカレーはさらに寝かされ、非常にマイルドになっていくらしい。 ところで、どうしてもフォークで食す理由が知りたい。近くにいた女性スタッフに尋ねると、カレーの本場インドでは手でカレーを食べるため、それに近い感覚で食べてもらうためというのと、富士屋ホテルはフレンチのためスプーンはスープを飲む時だけに使うということだった。なるほど。とは言え、食べている間中、「スプーンで食いてー」と思ったいたのだが。 いずれにせよ、このカレーは2000円以上出す価値がある。お試しあれ。
近代化産業遺産に指定されている富士屋ホテルは、当初外国人専用だった。
すっかり満腹だが、まさかジムニー探検隊がカレーだけ食べて出立するわけにはいかない。この風情ある建築をゆっくりと楽しまねば。 富士屋ホテルが開業したのは、明治11年のこと。維新からそれほど時間が経っていない頃だ。もともとこの地には、500年続いた藤屋旅館という旅籠があり、その後にホテルができた。そのため、藤屋という名前を残しつつ、外国人に人気だった名峰の名前を入れて「富士屋ホテル」にしたのだという。 以外だが、このホテルは大正元年まで外国人専用で、日本初の本格リゾートホテルとして人気を博していた。ヘレン・ケラーやチャップリンも滞留したという。大正元年からは日本人も宿泊できるようになったが、大東亜戦争の敗戦で米軍に接収され、昭和26年まで一般人が泊まることはなかった。 創業当時の建築は大火で消失し、いまあるのは2代目。見事な和洋折衷建築で、正面玄関の唐破風と中に入った時のギャップがおもしろい。かつて探検隊で泊まった山の上ホテルも素晴らしい造りだったが、富士屋ホテルはさらにその上を行っている。
ホテルのロビーにいるだけで、どこか外国にでも旅行をした気分にさせてくれる。
中に入ると、芸術性の高いインテリアに驚かされる。当時の匠たちが高い技術力を競うように造ったのか、いたる所に緻密な彫刻が施されている。日光の金谷ホテルの造りも素晴らしいが、こちらもそれに負けず劣らず素晴らしい。 館内ではいろいろな場所で外の景観が見えるようになっており、同時に水を景観に取り入れているのが特徴だ。宿泊しないと観られる場所が限られるが、館内には資料展示室がある。ここには創業当時からの写真や調度品が展示されており、このホテルの素晴らしい歴史を知ることができる。 国道1号を挟んで道の向かいには、旧箱根御用邸で高松宮邸だった菊華荘がある。こちらも現在は富士屋ホテルの施設の一部となっており、すばらしい日本庭園を観ることができる。 泊まるとなかなかのお値段だが、食事たお茶を楽しんで、ホテル内をブラブラとするだけでも十分に楽しめるだろう。毎日16時からは、スタッフがホテル内を案内してくれるツアーも開催されている。 宮ノ下を通った際は、ぜひクルマを降りて富士屋ホテルに立ち寄ってみてほしい。日本にも優雅な文化の時代があったことを、改めて知ることができるはずだ。
水が糸のように静かに落ちる千条の滝は、昨今人の多い箱根においては安らげる場所だ。