小豆島の南側には苗羽という地区がある。ここには小豆島の名産である醤油の醸造元が集中している。その醸造蔵の多くは明治、大正に造られたもので、その地域を巡っていると現在が平成であることを忘れるほどノスタルジックな雰囲気に溢れている。
小豆島の醤油は関東のものに比べて濃厚で、甘みも強い。関東で言うところの刺身醤油に近い味だ。だから地物の刺身を小豆島の醤油でいただくと最高。隊長と僕も小豆島に上陸した直後に、島の醤油で刺身を食してノックアウトされたのだが、二人の疑問は“なぜ小豆島で醤油なのか? ”ということだった。隊長が地元のお姉さんに聞いてみたのだが、「なんでですかねぇ。考えたこともありませんでした」とニコニコ顔で煙に巻かれてしまった。
その後も何人かにリサーチしたのだが、どうも曖昧だ。小麦はともかくとして、大豆が古くから島内で生産されていたのかという疑問が残る。人によっては「昔は島で栽培していたんですよ」なんて言う人まで出てきた。
そもそも醤油は1580年ごろ、紀州の湯浅という場所で生まれた。それまでは中国から伝わった「醤(ジャン)」を改良した「醤(ひしお)」が日本の代表的な調味料だったが、この醤油の発明は瞬く間にブームとなり、関西方面であっと言う間に庶民にまで定着したらしい。
さてその頃の小豆島では良質な花崗岩が穫れることから(詳細は後述)、豊臣秀吉の大阪城築城に使う石を切り出すために多くの大名たちが島を訪れていた。その大名たちが島内に醤油を持ち込んだのである。当時の小豆島では塩造りが基幹産業のひとつだったが、塩はあまり儲からなかったらしい。塩を原料に醤油に加工して商売につなげるということを島民は思いついた。
しかも小豆島は海上輸送が主要だった当時、交通の要にあった地。大阪や堺、京都といった場所に醤油を船で運ぶのに適した場所だった。だが小麦は島内で生産できるだろうが、大豆はどうしていたのか。小豆島は九州との交流が盛んで、素麺や塩を九州に出して、大豆や米は九州から持ってきていたのだ。
そして何より小豆島が醤油造りに適していたのは、その気候だ。高温で乾燥した気候ときれいな空気が、醤油の麹菌の発育や醤油もろみの熟成に適していた。幕末になると小豆島の醤油は千葉産と並んで有名となり、明治期に入ると資本主義の確立でさらに成長。明治19年には島内の醸造家は約400戸になり、島の一大産業となった。