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ジムニー探検隊NEXT -祭り、その街-
VOL.010
ジムニー探検隊NEXT /// VOL.10
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ジムニー探検隊NEXT -祭り、その街-
『悪態祭り』茨城県笠間市

日本にはいわゆる「奇祭」と呼ばれる神事がいくつかあるが、今回ご紹介するのも非常に変わったものだ。その由来を聞けば納得できるが、その場にいると可笑しいやら気の毒やらで、何ともいえない複雑な気持ちになる祭りなのである。


文・写真/山崎友貴

八溝山系の東に広がる平野の町・笠間

街の中心部からすぐの所にある笠間城跡。昨今、痛みが激しく、保存活動が望まれる。

茨城県笠間市を説明すると言っても、かつては笠間城城下町、日本三大稲荷のひとつである笠間稲荷神社の鳥居前町というくらいしかない。遠くに筑波山を望み、町の周囲は八溝山系に囲まれた平野部にある。

また頂きに登れば、霞ヶ浦が東に見える。この辺りは果樹の栽培が盛んであり、イチゴ、葡萄、そして栗において笠間産が有名である。取材に訪れた頃には栗も終いであったが、わずかに大きな実が沿道で売られていた。

拝殿の東側にある総門は、江戸時代後期の佇まいを今に残している。

これらを栽培する果樹園が平野部にいくつもあり、併せて水田、畑が広がる風景はまさに風光明媚。春、夏は夕刻までのんびりとしたくなるような風情があることから、この辺りのキャンプ場はなかなか予約が取れないのも分かる。

笠間市については、「日本再発見ジムニー探検隊vol.58,59」に詳しいので、そちらをご笑覧いただきたい。今回は、早速に表題の神事に話を進めよう。

神饌を奪い合う奇妙な風習

各祠に神饌を供えて黙祷を捧げる神職

笠間市の南に泉という地区があり、そこにある愛宕山には中腹に愛宕神社、山頂に飯綱神社が祀られている。「悪態祭り」は、この飯綱神社の神事である。神社の名前からも分かるように、言い伝えによれば愛宕山には古来より13人の天狗が棲み、妖魔や疫病から住民を守っていたという。つまり、かつては修験道の聖地だったことが分かる。

祭りはその言い伝えを再現したと言えるもので、1人の大天狗、12人の子天狗に扮した人々が、1人の神職と共に愛宕山とその麓にある16か所の祠にお供えをして回る。

祠の周りには神饌を取ろうと、人々が手ぐすねを引いて待っている。

お供えは、まず藁のむしろを敷き、その上に土器、餅、木札、御幣を載せる。これを供えて回るだけなら話題にもならないが、おもしろいのはここからだ。各祠の周囲には氏子など人々が待ち構えている。何を待っているのかというと、このお供え物を狙っているのだ。

お供え物を持ち帰るなどとは不信心と思うだろうが、この祭りはそれを持ち帰ることで、繁盛、無病息災といった御利益が得られるというのである。しかし、持ち帰るにもルールがあるのである。

まず天狗が、祠に前述の神饌を捧げる。その時、他の天狗2人が青竹の杖で待ち構える人々をガードする。もし、途中で神饌を奪おうとすると、天狗は容赦なく青竹で不信心者を打つことになる。やがて神職が無言で祝詞を上げ終わると、いよいよ争奪戦が始まる。一瞬のことだから、よほど手が速くないと奪えないし、神饌のすべてが手に入るとは限らない。その様は、決して奥ゆかしいとは言えないし、少々殺伐とした雰囲気がある。

天狗への罵倒こそが名前の由来

16もの祠を回る13人の天狗役と神職。

だが、この祭りの奇妙はそれで終わらない。懸命な読者諸兄ならお気づきだろうが、「悪態祭り」と言われる由縁があるのである。天狗と神職は、愛宕山山頂を目指して黙々と歩くのだが、人々は彼らに向かって「速く歩け、馬鹿野郎」「餅をよこせ、馬鹿野郎」「いつまで待たせるんだ」などと、口さがない悪態を浴びせるのである。

こうした風習は江戸期に始まったと言われ、時の役人が村人の不満を知るために、この日だけは悪態を無礼講にしたと言い伝わる。それゆえ、参加者の中には「消費税を下げろ」とか「ボーナスをもっとくれ」などと浮世の不平不満を叫ぶ洒落者も少なくない。

急峻な階段を登る天狗達に、容赦なく罵声が浴びせられる様は、滑稽だが気の毒でもある。

しかし、13人の天狗と神職は額に汗して山道を歩くのである。それに向かって「馬鹿野郎」を連発する様は、可笑しいやら気の毒やら。しかも天狗たちは口をきいてはならないという掟があるらしく、罵詈雑言にひたすら耐えるのである。

この祭り、今は午後2時から始まるが、昔は夜に行っていたらしい。おそらく松明を持って歩いたのだろうが、いきなり闇から大声で罵倒されたら、分かっていてもギョッとするのではなかろうか。

16の祠をすべて回り終わった後も、天狗の役割は終わらない。拝殿でお祓いを受けた後、天狗たちは素顔に面を付け、待ち受けた人々の前に立つ。ここでも地鳴りのようなブーイングを受けるのである。もはや暴動寸前のような雰囲気の中で、突如天狗たちは餅巻きを始める。餅と言っても現在では菓子だが、人々はそれを楽しげに受け取る。

最後は愛宕神社の本殿から餅まきが行われ、多くの参拝客はこれを目当てに来ている。

そして、恒例となった「馬鹿野郎三唱」の後、何とも晴れ晴れとした面持ちで人々は家路に付くのである。何とも乱暴な神事であったが、農期を終えて年貢を納めた領民たちのフラストレーションを晴らすための施政者の工夫ともなれば、その意味も理解できる。何かとストレスの多い現代でも、罪のない悪態をつくことで民衆の気晴らしになるのであれば、むしろ各地で行われてもいいかもしれないという考えが夕刻の筑波山を望みながら浮かんだ。