中心部に軍事施設があり、その周りを囲むようにして街が広がっている横須賀。道には米軍関係だと思われる人々が多く歩き、アメリカの香りがする店が多く散見される。横浜からさほど離れていないのに、その雰囲気はまるで異なる。だからこそ、東京方面から横須賀に来ると、どこか遠くに来たような気分になってしまう。
昔から不思議だったのだが、なぜ横須賀は軍港として栄えたのだろうか。その答えは、江戸末期まで遡ることになる。埋蔵金伝説でお馴染みの幕臣・小栗上野介は、勝海舟と対立しながらも、日本に海軍力が必要だということに関しては一致していた。頭の古い重臣たちは海軍立国としての日本を想像することができず、長州問題などの内政にばかり目を向けていた。
小栗上野介は造船所を設立するために策を講じて、まず横須賀製鉄所を建設し、それを拡張して横須賀造船所とする予定だった。小栗はフランス政府の援助を得て、彼の地よりもを招聘。フランス外交官のレオン・ロッシュが適所を模索したところ、横須賀がいいだろうということになった。そして技術者レオンス・ヴェルニーの指導のもと、横須賀製鉄所建設を開始した。
そもそも横須賀は浦賀水道をほぼ通らずに外洋に出られるという立地であり、周辺は港を造りやすい地形に恵まれていた。造船した艦船をすぐに航海に出せるし、修復が必要な船はすぐにドックに入れられるというわけである。残念ながら、横須賀造船所が完成する前に幕府が瓦解し、小栗の夢は叶うことはなかった。
だが、この夢は明治政府へと受け継がれ、明治4年に第一号ドックが完成する。横須賀造船所はその後、横須賀鎮守府の設置とともに横須賀海軍工廠となり、昭和初期までに現在とほぼ同じ施設の規模となった。