笠間市は茨城県の中部にある町だ。旧笠間市、友部町、岩間町が2006年に合併して現在の笠間市になった。市役所は友部にあるが、市の中心と言えばやはり笠間の町だ。笠間は日本三大稲荷のひとつである笠間稲荷神社の門前町として、また笠間城の城下町として発展してきた。ちなみに子母沢寛の「座頭市」では、市は笠間出身という設定になっている。
常磐道、北関東自動車道を使えば、都心から1時間ほどでアクセスすることができる。かつてジム探でご紹介した石岡市とは隣同士だが、石岡が商人の町であることに対して、笠間はそれとは違う雰囲気が流れている。
町のシンボルである笠間稲荷神社、そしてもうひとつのシンボルである笠間城。まずは城に行ってみよう。笠間稲荷神社の門前町を抜けて、町を見下ろすようにある佐白山へと登る。この道はいまは寂れてしまっているが、かつては茨城の道百選に選ばれた観光道路だったようだ。
城のすぐ下までクルマで行けて、行き止まりには十分な台数が駐められる駐車場も完備している。
笠間城は、1219年に笠間時朝が築城した。それから400年間、笠間氏が代々守り通してきたが、18代綱家の時に後北条氏についたために小田原征伐の時に滅亡。その後、豊臣家臣の蒲生郷成が入場して戦国期の特徴を持った城に改築。明治維新まで、ほぼその形を踏襲している。
関ヶ原の後は松平氏が入り、以後、7大名が代わる代わる城を支配した。維新時には8代続いた牧野氏が笠間藩主であった。支配家の中には、忠臣蔵で有名な浅野家もあり、大石家や堀部家などもこの地にいたことがあるようだ。浅野家は笠間の後、赤穂へと移った。
笠間城は佐白山の地形を実に上手に活かしており、そこに何層もの曲輪、空堀、堅堀を造っている。その遺構の多くは現在も残っており、ダイナミックな城趾に魅了される城郭ファンは少なくない。