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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.081
日本人こころの故郷[南魚沼]

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日本人こころの故郷[南魚沼]

4年以上にわたってご愛読いただいた「日本再発見ジムニー探検隊」も、今回でいよいよ最終回。
そこで、最後は日本人の心のふるさとと言うべき、米処の南魚沼を訪れた。
コシヒカリで日本中にその名を轟かせる、山間の町は様々な顔を持っていた。

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日本一のブランド米を育む大地

南魚沼市は新潟県中越にある盆地の町だ。旧南魚沼群六日町と大和町が合併してできた。関越自動車道に沿って町は広がっており、その面積のほとんどが水田のように見受けられる。

ご存じの通り、南魚沼は「コシヒカリ」の一大産地である。同じコシヒカリでも、南魚沼産というだけで値段が跳ね上がる。この土地が米の生産に適しているのには、いくつかの理由がある。まずこの辺はミネラルが含まれた伏流水が豊富だということだ。八海山や巻機山、越後駒ヶ岳といった名峰が背後にひかえた場所ゆえに、雪解け水が多く流れる。

実際、町内の至るところで透明度の高い伏流水が流れており、この水がコシヒカリの命の水となるのである。さらに町を背骨のように流れる魚野川も、上質な米を作るファクターとなっている。川のお陰で土地は適度に肥沃となり、タンパク質の少ない美味い米が生まれるのだという。さらに昼夜の気温差が高いことも見逃せない。稲は熱帯性の植物であるがゆえ、昼夜の寒暖差によってより育って、米に甘みを蓄える。

南魚沼が盆地であることも、豊富な収穫高につながっている。周囲を山々に囲まれているため、台風など風の影響を受けづらく、稲が倒れないのだ。

かつては農薬で苦しんだ大地は蘇り、水田は多くの動物たちのユートピアとなっている。
コシヒカリと言えば、新潟をイメージする人が多いと思うが、実は発祥地は福井だ。昭和36年に福井県農業試験場で生まれた品種なのだが、当時の福井では地理的な困難からコシヒカリの栽培には適していなかった。ところが新潟にはピッタリとフィットし、すぐに推奨品種として県内各地で栽培が始まった。 昭和30年代と言えば、全国の水田で化学肥料や農薬による栽培が主流だった時期。病害や冷害による収穫高減少を避けるため、農家はためらうことなく化学物質を大量に投与したのである。その結果、消費者のみならず生産農家自身にも健康被害が表れていくのである。 減農薬や有機農法による米の栽培を最初に取り組み始めたのは、山形県米沢市の生産農家だ。だが、ここ南魚沼でも30年ほど前から積極的な減農薬、減化学肥料、そして有機農法による栽培への取り組みがなされてきた。 だが、収穫量はというと、それほどでもない。JA魚沼みなみ管内の生産農家の収量は15万俵。その内、50%減農薬米はわずか2〜3万俵だというのである。だがここで「危ない米じゃないか」と言うのは早計だ。実は近年、農薬自体の危険性が大幅に減少しており、かつてのように水田の生物を根こそぎ殺し、あげくには人間にも被害をおよぼすような農薬は使われていないのである。 米の農薬残留量を比較すると、普通栽培でも減農薬栽培でも大差がないところまで来ているのだという。
昨今は全国で美味しいブランド米が栽培されているが、やはり南魚沼産コシヒカリは米の女王だ。
ジムニーで水田のあぜ道を走ってみると、そこには様々な生物が棲んでいた。昆虫が飛び、カエルが飛び跳ね、カモが闊歩する。まさに生物多様性が実現されており、それは米の安全性を物語るものであった。かつては生物が死滅した水田は、30年の年月をかけて昔の輝きを取り戻したのである。 一方で、米農家には頭の痛い別な問題が浮上している。それは気候変動による高温被害だ。前述した通り、稲は昼夜の寒暖差によってより良く育ち、気温が下がる秋に収穫することで、米の味が上がる。ところが日本は全国的に気温が高くなっているため、夜になっても気温が下がらず、さらに稲穂が実る秋にも高温のままで十分な収量を得ることができないという状態に陥りつつある。 すでにコシヒカリは、品種として適した生産地は北海道と言われている。昨今、北海道の米の人気が上昇し、生産量で新潟県に続いて2位の位置をキープしているのは、そうした背景がある。 南魚沼市の生産農家では田植えを後ろにズラして、収穫時期を遅くするということで高温被害を避けているという。また幸いにも同地区には2000m級の山からやってくる冷たい伏流水があるため、高温被害を避けることができているのだという。 様々な地理的条件が奇跡にようにかさなってできる米、それが南魚沼産コシヒカリなのだ。 日常食べている米の一粒一粒は、一瞬にして僕らの体内に入っていく。だがこの一粒には、日本の基幹農業である米栽培の長年の苦難と努力が込められており、米こそが日本人のアイデンティティを形成していると言っても過言ではない。そしてこの南魚沼は米生産という点において、もっとも成功した希有な土地のひとつなのである。

南魚沼探検ギャラリー

龍谷寺にある、欄間の透かし彫り。まるで生きているかのような躍動感に驚かされる。
この4年間、全国に人知れず眠っている数々の文化財をご紹介してきた。日本の美術はまさしく世界一線級であるにも関わらず、まだまだスポットライトが当たっていない。ここでご紹介する石川雲蝶の彫刻もそのひとつだ。 石川雲蝶は1800年代初頭(徳川吉宗の代)の人で、江戸で生まれた。若くして江戸彫石川流の名人となり、幕府から苗字帯刀まで許されている。だが、ちょうど天保の改革が実施されたために不景気となり、江戸で作品を残していない。雲蝶がその才能を発揮したのは、越後に居を移してからのことだ。魚沼、長岡、湯沢を中心に数々の名作を残し、昨今では「越後のミケランジェロ」の誉れも高い。 実際、その作品を観ると、驚異的な技術に圧倒される。雲蝶は寺院の欄間が作品として多いのだが、1枚彫りでありながら、何層にも緻密に彫刻が施されており、そこにある動植物が生き生きと躍っている。 こういう彫り方を透かし彫りというのだが、見れば見るほど、どこから彫り始めて途中でどのように構図を決めていくのか分からない。
穴地十二大明神にある「酒呑童子の大江山の鬼退治」。未完の大作である。
日本の絵画においては遠近法は幕末にようやく取り入れられたが、この彫り物を観るかぎりでは、すでに遠近法という概念があるようだ。 今回は龍谷寺にある欄間と、穴地十二大明神の欄間、手狭、向拝を観たが、このふたつの作品は実に対象的だ。龍谷寺の彫刻が非常に緻密なのに対して、穴地十二大明神の欄間は荒削りだ。実はこの作品は未完だと言われている。 このような未完の作品はいくつか存在しており、石川雲蝶が多忙だったため…と言われている。雲蝶は越後に1000点以上の作品を残しており、昨今その作品価値が見直されている。 雲蝶以外にも、小林源太郎という名工の作品も数があり、こちらも併せて鑑賞してみると面白いだろう。雲蝶と源太郎はライバル関係にあり、競作や彫り比べの作品がかなりある。 ここ数年、越後妻有地方は「大地の芸術祭」が開催されており(vol.38参照)、芸術振興の流れが加速している。現代アートと田園地帯の融合という試みは素晴らしいものだが、こうした先人たちの足跡にも注目したい。
布海苔と山ゴボウを練り込んだ「へぎ蕎麦」。へぎという器に小分けにするのが一般的だ。
このコーナーでも随分各地の蕎麦をご紹介してきたが、蕎麦もまた日本人の心に息づくソールフードと言えるだろう。古の人々がハレの日に食べるのは、蕎麦やうどんであった。蕎麦は痩せた土地でも育つため、大抵山間の土地では蕎麦が名物だったりする。 ここ南魚沼では「へぎ蕎麦」というものが名物としてある。「へぎ」とは竹などで作った平たい器のことで、そこに子盛りに分けた蕎麦を鱗のように並べていく。へぎ蕎麦の特徴は、そのつなぎだ。江戸時代に蕎麦は、よりのど越しや食感を洗練されるために、小麦粉をつなぎとして使ったものが生まれた。いわゆる「二八」と呼ばれる蕎麦だ。そば粉が8割に、つなぎが2割。 ところが南魚沼では小麦の栽培がなかったため、つなぎとして布海苔という海草や擦った山ゴボウ、自然薯を使っていた。これが一般にへぎ蕎麦と呼ばれるものだ。 へぎ蕎麦の特徴は、その高い香りだ。そば粉と布海苔のハーモニーは、まさに黄金タッグである。今回食したものは山ゴボウを使っていたが、個人的には使わないもののほうが美味い気がする。南魚沼にはへぎ蕎麦を出す店が多くあるので、比較的手軽に食べることができるだろう。
越後の名物のひとつ「笹団子」。新潟の良質な米粉を使った銘菓だが、昔は食事だった。

坂戸山の麓にある坂戸城址。ここには普段生活した館の址が残っている。

坂戸城を再現したジオラマ。急峻な尾根に沿って、大規模な城郭があったらしい。

南魚沼界隈ではすっかりお馴染みとなった「コシヒカリソフトクリーム」。昔に比べると、米の含有率が少なくなった気が…。
市内にある「トミオカホワイト美術館」は、地元出身の画家・富岡惣一郎の作品を集めた美術館。トミオカホワイトという独自の白色絵の具で描かれた雪景色は圧巻だ。写真:トミオカホワイト美術館HPより
大和町を中心に作られているブランドスイカの「八色西瓜」。糖度が高く、皮が薄いのが特徴だ。
雲洞庵には美しい庭園がある。この寺は藤原鎌足によって建立されたと追われている名刹だ。
上杉景勝と直江兼続が幼少期に教育を受けたという、雲洞庵の方丈。
三国川(さぐりがわ)ダムは、三国川上流に造られたロックフィルダム。その威容に圧倒される。
最近、東京でも人気急上昇中の「タレカツ丼」。あっさりとしたソースが人気の秘密。
八海山醸造が経営する「魚沼の里」は食をテーマにした施設。蕎麦やうどん、スイーツが楽しめる。