実は僕は、奥多摩に行く機会が多い。趣味が登山ゆえだからだ。奥多摩は東京を代表する山が集中しているのだが、山にアプローチする場所は青梅市や奥多摩町に集中している。だから、というと言い訳になってしまうのだが、東京都に檜原村があることを永らく忘れていた。
檜原村は伊豆諸島を除くと、東京都で唯一の「村」だ。なぜ、平成の大合併で隣のあきる野市と合併しなかったのは分からないが、東京の最西端には大きな村が存在するのである。
20年ほど前はオフロードエクスプレス初代編集長のM氏と、仕事の合間を縫ってフライフィッシングに行ったのものだが、よくよく考えると釣り場以外はほとんど記憶がない。だからと言ってはなんだが、冒頭で書いた高千穂峡のような場所を知らなかったのである。
列島に記録的な大寒波な来たある朝、ジムニーは中央道を西に向かう。駐車場に置いてあったジムニーがフローズン状態になっていたような寒い日で、当然ながらシートヒーターを入れずにはいられない。
八王子ICを下りて、圏央道のために造られた新しい一般道を武蔵五日市駅の方に走る。武蔵五日市駅はすっかり立派になり、なんだか郊外に来た趣きを玄関口でくじかれたような気分だ。秋川沿いの道をさらに上流に走ること30分。やがて行政区はあきる野市から檜原村へと変わる。家はいきなり少なくなり、なぜここが「村」なのか、何となく肌で理解した。
檜原村は縄文時代から集落があった歴史ある場所で、かつては林業や製材業が盛んな場所であった。江戸は非常に火事の多い都市で知られているが、大火が起きると檜原村から切り出された木材が江戸へと運ばれて都市再興に使われたという。また炭も多くが江戸に運ばれたという。
現在の主幹産業は採石で、その他は農業で人々は生計を立てているようだ。檜原村は村役場がある本宿を起点に、西に3方向の道が伸びている。この道に沿ってそれぞれ集落があるのだが、明治に南部と北部で主導権争いが勃発して、昭和20年代頃は主導権争い、分村を争ったようだ。もちろん今はひとつの村となっているが、何となくその因縁を現在も引きずっているのではないか…と、無責任な外野は邪推してしまうのである。