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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.061
都心に最も近い秘境[檜原村]
都心に最も近い秘境[檜原村]

さて探検隊はさらに檜原村の奥地へと進む。
古墳時代から多くの人がやって来た場所だけあって、興味深いスポットが多くあった。
また平成の村の新しい姿もそこに垣間見ることことができた。

 
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豊臣・徳川連合軍に攻められた山城

急峻な斜面に掘られた檜原城の堅堀(たてぼり)。戦国期のものなのに、現在でもはっきりと分かる遺構だ。

檜原には様々な人々が外部からやってきた、とパート1でご紹介した。その中に平山氏という土着の豪族がいた。平山氏というのは鎌倉幕府を武蔵国一帯で支えた武士団、武蔵七党の一派で、武蔵国司の日奉宗頼(ひまつりのむねのり)の子孫だと言われている。

この平山氏というのは時代と共に半士半農のようになっていくのだが、後北条家に使えて大層信頼を得ていた。その平山氏が後北条の八王子城を武田勢から守るために築城したのが、檜原城と言われている。都道33号線、いわゆる檜原街道は奥多摩湖畔を通って甲府に抜ける街道で、檜原城はそこから攻めてくる軍勢を抑える役割があった。

役場まで戻り、都道33号線に入るとすぐに吉祥寺という寺がある。檜原城はこの背後の山の上にあった。ジムニーを吉祥寺の境内に駐めさせていただき、本堂の後ろにある「十山仏巡拝道」を登る。この道は非常に急峻な斜面に造られており、日頃登山などをやっていないと相当きついと思う。

登り始めて15分ほどすると、斜面にはっきりと分かる堅堀(たてぼり)が確認できた。堅堀とは山城に見られる構造物で、敵な山腹を登ってくるのを防ぐための空堀だ。時には、上から大きな岩などを落としたのかもしれない。

郭跡は山頂にあるので、がっつり登山だ。30分ほど登ると、人工的に山を削った遺構が見えてきた。石垣などはないので、普通の人が見ればただの山の頂上だが、城郭マニアが見れば明らかに城趾だ。観光協会のお姉さんは「何もありませんよ」と言っていたが、こんなにはっきりとした遺構があるのだから十分だ。

狭い山の尾根をうまく利用して、いくつかの郭が造られていたようだ。長年の侵食で削られてしまっているが、まだ遺構ははっきりと分かる。

さて、この檜原城にはまだストーリーがある。豊臣秀吉と徳川家康の連合軍が小田原征伐を始めた時、後北条氏の重要拠点である八王子城がまず先に攻められた。3000人の領民や婦女子が城に立て籠もったが、敵は1万5000の武者軍団。北条勢も善戦したが、結局一日で落城。八王子城から一部の手勢が檜原城に逃げて、平山氏共々再起を図るが、再び豊臣・徳川勢に攻められて半日程度で落城。平山氏は城下で自刃したと言われている。

ちなみに麓にあった吉祥寺は平時の居館があった場所と言われており、現在も寺の甍には北条家の紋である「三つ鱗」が付いている。この周囲に桐や葵の旗がひしめき合った日の様子を想像すると、タイムスリップが早く発明されないかと夢見てしまうのである。

結局、この城は大きな活躍をすることもなく廃城となる。いまはこの村を静かに見下ろしているだけだ。

檜原村の新しい名産物とは?

檜原村の名産であるジャガイモ(上)。キタアカリやメークインなど様々な種類のジャガイモが生産されている。それを使ってアイスクリームなど、様々なものも作られている(下)。

檜原村はその総面積の92.5%が森林で占められており、そのほとんどが杉や檜の植林だ。前でご紹介したように、かつての村は林業や炭の生産が盛んだった。だが、近年では安価な外国産の木材に取って代わられ、林業は低迷している。

農業も実質自給用としてしか生産されていない。かつてはコンニャク生産や養蚕が盛んだったが、換金化の難しさ、高齢化が原因で農家自体が減っているという。この辺は山間部の斜面で耕作地が少なく、高齢者には厳しい環境となっているためだ。

だがこの急峻で水はけがいいという条件を逆手を取って、檜原村では近年、ジャガイモの生産を盛んに行っている。実はこの辺りでジャガイモの生産が始まったのは、ここ最近のことではない。遡ると江戸時代なのである。

16世紀末に天明の大飢饉が起こるが、当時の甲府代官だった中井清太夫は幕府の許可を得て、長崎に伝わっていたジャガイモの種芋を取り寄せた。やがてそのジャガイモは領内で生産されるようになるが、山梨県の都留から檜原に嫁いだ「おいね」という女性が種芋を村に持ち込んだ。その芋は今も「おいねのつる芋」として村内で生産されているのである。

もちろん、この古い品種だけでなくキタアカリやメークイーンなどの新しい品種も生産されている。またこれらのジャガイモを原料にした焼酎やアイスクリームなど、第二次産業も盛んに行われている。

檜原村の特産物を販売する「やまぶき屋」では、村内で生産されたジャガイモや製品を買うことができる。

檜原村には「ひのじゃがくん」なるゆるキャラも存在して、キャラクターグッズも同店で売られていた。どんな人がこれを買うのか、ちょっと気になったが、ジャガイモアイスクリームのほうがもっと気になったので買ってみた。

外は5℃もない真冬日だが、食レポは探検隊員の重要な役目ゆえ仕方が無い。釘が打てるくらい硬いアイスクリームを何とか柔らかくして、ちょっと口に含んだ。まあ、普通のあっさりとしたアイスクリームだ。どの辺がジャガイモ味なのかは、どうも僕には分からなかったが、まあノリということで味わうしかないのだろう。

ちなみに「おいねのつる芋」は、ちょっとねっとりした食感で、煮物で食べると美味かった。

伝統的な建築が残る数馬

蛇の目温泉「たから荘」の兜造り。2階で養蚕をするために、このような造りになっている。

南北朝時代、武蔵国七党の武将だった中村数馬守小野氏経が南朝に味方して破れたことで、檜原村に落ちてきた。檜原村数馬地区は、この小野氏経が移り住んだ場所と言われている。

この数馬にはいい温泉が湧き出ているが、もうひとつ大きな特徴がある。それは「兜造り」と呼ばれる大きな農家がたくさん見られることだ。そのほとんどは現在、旅館になっている。檜原村の兜造りは富士系合掌造りの妻部二重庇が特徴で、養蚕を行うための建築となっている。

数馬発祥と伝承があるのが、現在の旅館「山城」だ。山城に近くには南朝の守護神である九頭竜神社もある。この神社の宮司は中村家が代々受け継いでいることから、氏経伝説はおとぎ話でないことが分かる。

数馬には「たから荘」や「兜荘」など、雄壮な兜造りの温泉旅館が多く存在する。そのひとつである「三頭山荘」で、昼食がとれるという。この三頭山荘は築400年と言われる兜作りの母屋があり、この中で泊まらずしてご飯が食べられるというのだから、行かない手はない。

山菜12品、とろろ、ニジマス甘露煮がついた「山吹」は、これで1600円。山菜がこれだけ食べられて、このプライスはリーズナブルだ。しかも美味い!

ここの名物はたくさんの山菜が付いているお膳だ。最もゴージャスなのは山菜が22品付いているのだが、実は僕はバリバリの肉食系。正直言って、山菜だけ食べるというのは普段の食生活ではありえない。なので、このメニューは正直気乗りがしないのだが、数馬の伝統的な料理というのであれば、隊員として好き嫌いは言ってられない。

とりあえず写真のメニューを頼んでみた。超が付くほど無愛想なおばさんに料理を頼むと、10分ほどで膳が運ばれてくる。ものすごい量の山菜だが、個人的にはちっとも嬉しくない。ただ昼の時間もとっくに越えてお腹が空いていたので、とりあえずありがたくいただくことにした。

ところが、ところがである。この山菜がどれを食べても絶妙の味付けで美味い。山菜ってこんなに美味かった記憶がない。甘い、辛い、酸っぱいがhどよく混ざっていて、実に楽しい食事だ。ニジマスの甘露煮は付いていたものの、これなら動物性タンパク質がなくとも、まったく平気である。

しかも天然のモノを食べているせいか、少量でものすごくお腹が満たされる。こうした食事を毎日採っていたら、間違いなく1か月で10kgはダイエットできるはずだ。隊長と一緒に、この宿で合宿をしたいくらいだ。

室内の雰囲気は思ったほど前時代的ではなかったが、まあ昔の農家の雰囲気は十二分に味わえた。おじちゃんもおばちゃんもメガ無愛想だったが、食事は美味かったので満足できた。

何かと楽しみの多い檜原村

数馬の家にはこうしたヤマネが冬に入り込んで、冬眠をするのだという。本物を見たのは初めてで大興奮だ。

昼食を済ませた後、再び数馬の集落へと戻る。途中、数馬分校記念館という昔の校舎に寄ってみた。名前を書くと、誰でも入れてくれる。この校舎は昭和34年に建てられたもので、檜原村最後の分校であったが、平成10年に閉校となった。

中は最後の生徒5人が通った時とほぼ同じ状態で保存されており、生徒5人の下駄箱も残っていた。この校舎がいつまで残るのかは分からないが、5人が大人になっても名札が残っていたなら、さぞうれしいことだろう。

校内は学校独特の懐かしい匂いがした。黒板や足踏みオルガン、木琴など久しぶりに見る物ばかりだ。だが僕を最も興奮させたのは学校の備品ではなく、ヤマネ。ヤマネは鼠の仲間で、日本では天然記念物になっている。よく雪の中や樹の中で寝ている写真を見かけるが、ここ檜原村では民家のタンスや布団の中で冬眠してしまうのだという。その話を聞くだけで、笑みがこぼれてしまう。

この分校記念館にもヤマネが冬眠しているということで、管理人の方が見せてくれた。どこがどの部分なのか分からないが、毛玉みたいで実に愛らしい。今日は僕の動物マニアぶりにつっこみを入れる人たちがいないので、存分に楽しめる。手に持ってみると、実に軽くて、これが元気に生きているのかと思うと不思議だ。

ヤマネは冬に木を切ると転がり出てくるため、林業関係者からは山の神として古来より大切にされてきた。ここ檜原村でも、ヤマネは人間と深い繋がりを持って生きてきたに違いない。小さな生き物が大切にされていることに、非常に温かい気持ちにさせられた。

数馬の湯の露天風呂。周囲の山々を眺めながらの入浴は実に爽快。(写真は数馬の湯HPより)

とは言え、この日の低温ですっかり冷えてしまったので、帰りがけに第三セクターで経営している「数馬の湯」でひとっ風呂浴びていくことにした。泉質はアルカリ性の単純泉だが、ここの温泉は薪を使って湧かしている。檜原村は村をあげてバイオマスエネルギー化を積極的に行っている。

林業は木材の価格や生産性の問題から低迷しているが、昨今ではバイオマスエネルギーが注目されていることから、その再生方法として選ぶ自治体が少なくない。ご存じ通り、薪は燃やすと中赤外線を多く発生し、それがお湯に蓄積されて湯冷めしにくお湯となる。温泉効果と一石二鳥というわけだ。

数馬の湯には内風呂と露天風呂があるが、奥多摩の山々と空を見ながらの入浴は実に気分がいい。お湯は若干カルキ臭がしたが、まあ気持ちよく入れた。休憩室&食堂には薪ストーブがあって、ここでもまた中赤外線を体内にため込むことができる。

身体も温まったところで今回の探検は終了。外に出ると日没寸前だったが、周囲の風景を見渡す限りはここが東京都だとは未だ信じられない。それほど、実に自然が豊かな場所であり、閑静な山村なのである。かつて多くの人々が権力者の目を盗むようにしてここでひっそりと暮らしていたのだが、現代は都会暮らしの疲れを癒しに来るヒーリングスポットとなっている。圏央道を使えば神奈川県や埼玉県からも手軽にアプローチできるので、ぜひ一度東京の奥座敷に来ていただきたい。

2014年もたくさんの方のご愛読ありがとうございました。2015年最初の探検は、日本一暑い町・熊谷の真冬の探検をお届けします。来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

<文・写真/山崎友貴>

神戸にある「手打ちそば深山」。こだわっているというだけあって蕎麦が絶品。
「ひのき屋」の卯の花ドーナツがおすすめ。冷めたらトースターで温めれば復活!
檜原村の名産やお土産が売られている「やまぶき屋」。ジャガイモはたしかに美味い。
桧原村のゆるキャラ「ひのじゃがくん」。緩すぎてコメントできないくらい。
三頭山荘の母屋は築400年。この中で食事ができる。
数馬にある日帰り温泉「数馬の湯」。近代的できれいな施設だ。
ジムニーのようなコンパクトな校舎が「数馬分校記念館」。かつては多くの子供が通った学校だ。
閉校から15年以上経つが、きれいに手入れが行き届いている。懐かしい雰囲気だ。