檜原には様々な人々が外部からやってきた、とパート1でご紹介した。その中に平山氏という土着の豪族がいた。平山氏というのは鎌倉幕府を武蔵国一帯で支えた武士団、武蔵七党の一派で、武蔵国司の日奉宗頼(ひまつりのむねのり)の子孫だと言われている。
この平山氏というのは時代と共に半士半農のようになっていくのだが、後北条家に使えて大層信頼を得ていた。その平山氏が後北条の八王子城を武田勢から守るために築城したのが、檜原城と言われている。都道33号線、いわゆる檜原街道は奥多摩湖畔を通って甲府に抜ける街道で、檜原城はそこから攻めてくる軍勢を抑える役割があった。
役場まで戻り、都道33号線に入るとすぐに吉祥寺という寺がある。檜原城はこの背後の山の上にあった。ジムニーを吉祥寺の境内に駐めさせていただき、本堂の後ろにある「十山仏巡拝道」を登る。この道は非常に急峻な斜面に造られており、日頃登山などをやっていないと相当きついと思う。
登り始めて15分ほどすると、斜面にはっきりと分かる堅堀(たてぼり)が確認できた。堅堀とは山城に見られる構造物で、敵な山腹を登ってくるのを防ぐための空堀だ。時には、上から大きな岩などを落としたのかもしれない。
郭跡は山頂にあるので、がっつり登山だ。30分ほど登ると、人工的に山を削った遺構が見えてきた。石垣などはないので、普通の人が見ればただの山の頂上だが、城郭マニアが見れば明らかに城趾だ。観光協会のお姉さんは「何もありませんよ」と言っていたが、こんなにはっきりとした遺構があるのだから十分だ。