ニュースなどで皇居のイメージ映像として出てくるのが、皇居の橋だ。写真を見ていただきたい。大抵の映像や写真は、上の橋になっていると思う。
また歴史の教科書の中で、「終戦の詔で皇居二重橋に向かって伏せる人々」なというキャプションで出てくるのも上の橋だ。だから、日本国民の多くが「皇居二重橋」というとこの橋が頭に思い浮かぶという事態になっている。ところがだ。上の橋は二重橋ではないのである。確かに見た目は二重アーチになった石橋だが、正式名は「正門石橋」という実に凡庸な名前なのだ。
では二重橋というと、そのさらに奥に架かっている鉄橋のことを言う。前の石橋と後ろの鉄橋のふたつで二重橋…という人がいるが、これも事実誤認だ。ホンモノの二重橋の正式名は「正門鉄橋」という。二重橋は昔の名称で、それが通り名として今も使われている。
江戸時代、この橋は「下乗橋」と呼ばれ、木製橋であった。強度を出すために、橋桁の途中から柱の下にもう一枚の木の橋があって上下二重構造になっていたことから、いつしか「二重橋」と呼ばれるようになった。
二重橋は江戸城西の丸改修でできた…と言われているが、西の丸は家康が築城して以来、何度も燃えているのでそれがいつの改修・改築なのか分からない。ただ木橋の寿命を考えると、最後に西の丸が再建された1863年なのかもしれない。1888年に一度改修されているが、1964年に現在の鉄橋に架け替えられた。
通常、二重橋は厳重な警備で一般人は渡ることができないが、正月参賀や天皇誕生日などの一般参賀の時はこの橋を渡ることができる。ただ、やんごとなき人々もいつもは二重橋は通ることがなく、通常は乾門から出入りする。だが、天皇陛下も2度だけ二重橋を渡るという。それは即位と崩御の時。それくらい、この橋は日本にとって特別のものなのだ。